夏休み「読書感想文の書き方」の解説が新聞にあります ― 2021年07月30日
日本全国、「オレオレ詐欺の、新型コロナウイルス騒ぎ」 が、いつまでも続き、誰もが大変苦慮しています。
それでも、季節はめぐり、「夏休み」 の時期となりました。
それに合せたと思いますが、新聞で、子どもの 「読書感想文」 の書き方を解説しています。
「東京新聞」 の今月、7月26日、朝刊、第一面です。
「紙面」 の一番下に、論説委員が執筆する 「筆洗 《ひっせん》」 というコラムがあります。
その一部を、引用します。
(A: 東京新聞の記事を引用)
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
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子どもの読書感想文の書き方を教えてほしいと頼まれた。
どなたにも覚えがあろう。
夏休みの読書感想文は難題である。
(中略)
▼最初から原稿用紙に書かない方が良いだろう。
まずはメモ用紙を四枚、用意。
一枚目には「どんなお話か」、
二枚目は「一番好きな場面とそのわけ」、
三枚目は「一番嫌いな場面とそのわけ」、
四枚目は「主人公のかっこいいところとそのわけ」を書いてみる
▼難しいのは、「どんなお話か」、つまりはあらすじで、できるだけ簡略に書く。
エジソンの伝記なら「少年が苦労をして発明王になる話」程度で構わない。
二枚目以降も細かく書く必要はない。
(中略)
▼四枚のメモを基にもう少しだけ詳しくしながら、全体を下書きしてみる。
部品を作り、後で組み立てるやり方なら手順がはっきりしている分、少しは書きやすいだろう
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(A: 東京新聞の記事を引用。以上)
後述しますが、小学校時代、私は 「作文が、大の苦手」 でした(笑)。
当時、この 「引用文」 のような説明を受けていれば、ずいぶん助かったかもしれません。
また、原稿用紙に、いきなり清書せず、メモを用いて下書きする方法は、非常に助かります。
メモならば、書いたり消したり、気楽にできます。
なおさら、書きやすくなります。
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ただし、以下の部分は、納得できません。
>三枚目は「一番嫌いな場面とそのわけ」
もし仮に、「>一番嫌いな場面」 がなかったならば、「どう書いていいのか、判断できず」 立ち往生してしまいます。
「必ず、この 「>一番嫌いな場面」 を、書かなければいけない」 かのような説明は、ふさわしいとは思えません。
したがって、「感想文を書く、子ども本人に合わせて」 変える必要があります。
例えば、
◎ 主人公が、「なぜそのような行動を取るのか」、納得できない場面。
◎ 主人公と、自分とでは、「考え方が、大きく異なる」 場面。
◎ 主人公の行動は、「このようにした方が良い」 と思える場面。
などです。
なお、これらの例示は、「>嫌い」 とは、意味 (ニュアンス) が異なります。
ただし、限られたコラムのスペースでは、このように、細かく説明できないかもしれません。
その場合には、「>三枚目は「一番嫌いな場面とそのわけ」」 は、あくまでも一例に過ぎないと、「ただし書き」 だけでも入れてほしいものです。
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一方、「納得できない」 どころか、「とんでもない発言」 があります。
(B-1: 東京新聞の記事を引用)
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
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ただし、思ったまま正直に。
先生にほめられたいと悩むから書くのがつらくなる
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(B-1: 東京新聞の記事を引用。以上)
「筆洗の著者」 は、自分が子ども時代に、「>先生にほめられたいと悩むから書くのがつらくなる」 体験を、実際に行っているのでしょうか?
「私には、信じられない」 としか、言いようがありません(笑)。
なぜならば、子ども時代、「作文で、>先生にほめられたい」 と思ったことは、一度もないからです。
「作文を書くだけで、精一杯」 でした。
「先生に、ほめられたい」 と思う余裕など、まったくありません。
また、同時に、そのような発想 (願望) は、まったくありませんでした。
その 「必要がなかった」 からです。
授業の一環として、作文を書いただけです。
「先生に、ほめてもらうために」 わざわざ作文を書いたのでは、ありません。
そのため、「ほめてもらいたい」 とは、一度も思ったことがありません。
ただし、他の生徒たちは、どう思っていたか、それは分かりません。
中には、「先生に、ほめられたい」 と思いながら、作文を書いた生徒がいたかもしれません。
しかしながら、それを 「誰もが、当たり前に思っている」 かのように、この 「筆洗」 で言明するのは、とても承服できません。
(B-2: 東京新聞の記事を引用)
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
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▼先生の評価は保証できないが、物語のテーマソングを作詞し、書き添えるという手もあるか。
おもしろそうだし、なによりも、子どもが喜んで書いてくれそうな気がする。
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(B-2: 東京新聞の記事を引用。以上)
この (B-2: 東京新聞の記事を引用) の部分を読んだ時は、びっくりして 「椅子から転げ落ちそうに」 なりました(笑)。
あまりにも 「世界が違う」 と思わないでは、いられません。
>物語のテーマソングを作詞
一体、どこから 「このような発想が出てくるのか」 不思議で、しょうがありません。
子どもたちの中には、自分で自由に 「歌を作詞したり、作曲したり」 することも、あるいは少なくないかもしれません。
しかし、全体から見れば、「明らかに少数派」 と思えてなりません。
この少数派を除く、「大多数の子どもたち」 にとっては、やっかいな 「読書感想文」 を、必死で書いたあげく、さらに 「>物語のテーマソングを作詞」 までさせられたのでは、たまりません。
それこそ 「ひっくり返って」 しまいます(笑)。
これは、あまりにも 「荷の重い、行き過ぎた要求」 です。
「助言や、提案など」 の範囲を、大幅に逸脱しています。
>おもしろそうだし
出来上がった感想文を 「眺める側」 からすれば、確かに「>おもしろそう」 です。
しかし、書かされる 「子どもたち」 にとっては、「たまったものではない」 はずです。
>なによりも、子どもが喜んで書いてくれそうな気がする
これは、「筆洗の著者」 の、あまりにも自分勝手な 「言い分」 と思わないでは、いられません。
ところが、これは、この著者個人の問題ではありません。
東京新聞に限らず、マスコミならではの 「ずる賢さ」が、はしなくも露呈 《ろてい》 したと、言えます。
日本の新聞社やテレビ局は、「日本政府の下請け会社」 です。
裏世界で、日本政府と結託して、現代版の 「大本営発表報道」 を、行っています。
巧妙に、毎日 「ウソ報道」 を垂れ流し、人々をだまし続けています。
「オレオレ詐欺の、新型コロナウイルス騒ぎ」 報道が、その典型例です。
そのために、無意識のうちに、ここでも、「自分勝手な、とんでもない発言」 をしてしまったのだと、思えてなりません。
せっかくなので、以下、「既存の記事」 を掲げておきます。
(C: 既存の記事)
『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(2・最終回)』
2020年07月25日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/25/9271711
(D: 既存の記事)
『「東京MXテレビのウソ放送」に対する、マスコミの「批判しているようで」、実は巧妙な「虚構報道」』
2017年01月26日
https://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2017/01/26/8334730
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以下は 「私事」 です(笑)。
小学校時代、私は 「作文が、大の苦手」 と、前述しました。
その理由は、「文章とは、そもそも、どうやって書くのか」 それが、まったく分からなかったからです。
「他人の書いた文章」 ならば、いくらでも読めます。
(知らない漢字や、知らない言い回しなどは、もちろん別ですが)。
例えば、
◎ 学校の教科書。
◎ 絵本の中の文章。
◎ マンガの 「吹き出し」。
(文章とは言えない、非常に短いですが)。
◎ 童話など、子ども向けの読み物。
などです。
ところが、「いざ、自分で文章を書こうとすると」 どうして良いのか、さっぱり分からず、頭の中が 「真っ白」 になってしまいます。
小学校時代に、「文章の書き方」 を、あるいは習ったのかもしれません。
しかし、まったく記憶にありません。
文章の書き方が、まったく分からない状態で、無理矢理、文章をひねり出すしか、方法がありません。
(話し言葉と、書き言葉では、違うと、子どもなりに分かっていました)。
そのため、1時間の作文授業で、原稿用紙に 「2~3行」 程度書くのが、やっとでした。
宿題として家に持ち帰り、長い時間をかけて、原稿用紙の3/4程度を埋めると、息切れして、終りにせざるを得ませんでした。
400字詰めの原稿用紙、一杯に丸々書いたことは、記憶にありません(笑)。
冒頭で掲げた、(A: 東京新聞の記事を引用) のように、文章の書き方を、具体的に教わっていたら、どれだけ楽になっていたか分かりません。
もちろん、(A: 東京新聞の記事を引用) は、スペースの関係で、最小限しか説明していません。
一方、学校の授業ならば、これよりも、はるかに多くのことを教わったはずです。
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例えば、以下のような教わり方を受けていれば、非常に助かったと思います。
「遠足の作文」 を書くとします。
始めに、「遠足に行きました。」 と、書きます。
これで、第1番目の文が、たちまち出来上がりました。
ところが、「どこに行ったのか」 が分かりません。
そこで、「○○山に、遠足に行きました。」 と書きます。
しかし、「いつ行ったのか」 が分かりません。
そこで、「○月○日、○○山に、遠足に行きました。」 と書きます。
ところが、「どうやって行ったのか」 が分かりません。
そこで、2番目の文として、「△△駅から、○○線の電車に乗って、□□駅で降りました。」 と書きます。
このようにして、一つ一つの文の書き方を、具体的に、ていねいに教われば、稚拙ではあっても、作文を書き上げることができます。
ところが、「このような、具体的なやり方」 が、当時、まったく分かりませんでした。
そのような状態のまま、何度となく、様々な作文を書かされました。
私にとっては、「拷問 《ごうもん》」 としか言いようがありません(笑)。
それでも、高学年になれば、「見よう見まねで (?)」 だんだん書けるようになりました。
しかし、「具体的な文章の書き方」 を、知らないまま、無理矢理ひねり出していたことに、変わりありません。
中学、高校に進むにしたがって、だんだんと、それよりは書けるようになりましたが。
(学校で、いわゆる 「5W1H」 を習った記憶がありますが)。
それでもなお、今でも 「作文が苦手」 です。
( 「400字詰めの原稿用紙」 を見ると、当時を思い出し、何となく抵抗を感じてしまいます(笑))。
例えば、簡単なメール文でも、作成するのに、30分ぐらいの時間が、すぐにかかってしまいます。
(何度も推敲を繰り返す必要があるので、なおさら時間が、かかります)。
それより長い文章では、1時間や2時間、すぐに経ってしまいます。
一日では終らず、翌日に文章を仕上げて、送信することも珍しくありません。
一日に、何10本ものメールを送信する人は、少なくないようですが、私には夢物語です(笑)。
「当ブログ」 の更新が、週に1回が、やっとなのも、「作文が苦手」 なのが、一番基本的な理由です。
それでもなお、「社会に対して、意見主張がしたい」 ので、あえて行っています。
「下手の横好き」 です(笑)。
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