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(新・新版) 21世紀は宇宙文明時代
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(旧ブログ) には、その機能がないので、やむなく 「二本立て」 にしています。

ぜひ、主体の 『 (新・新版) 21世紀は宇宙文明時代』 も、ご高覧下さい。

(注)以前の 『 (新版)21世紀は宇宙文明時代』 は、不本意ながら
やむなく 「終了」 しました。

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【補足】 「京都アニメ」社の放火事件は、支配者たちによる「やらせ芝居」と思えてなりません2020年11月28日

[カテゴリ: 社会問題>支配]

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訂正を1件追加します。 <R2 / 2020-12-26>

一番最後の、「日本航空、格納庫見学」 の件です。

文章全体で、前から6割くらいのところです。

結果的には、長文です。

お手数をかけて、申し訳ありません。
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「京都アニメーション社」 の放火事件が発生したのは、昨年です。

誰もが、記憶しているかと思います。

当時、この事件に関して、いくつかの問題点を述べました。

(A: 既存の記事)
『「京都アニメ」社の放火事件は、支配者たちによる「やらせ芝居」と思えてなりません』
2019年07月27日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2019/07/27/9134040


この 「A: 既存の記事」 で、一番大きな問題点は、同社、社長の発言です。

それを、再度引用します。

(引用A ・ 再掲
======================================
八田 《はった》 英明社長によると、十八日は打ち合わせがあったことから、建物入り口のセキュリティーを解除していたという。
======================================
(引用A ・ 再掲。以上)

※ 「引用A ・ 再掲」 の出典は、「東京新聞・7月19日・朝刊1ページ」 です。


この社長発言は 「ウソ発言」 だと、この 「A: 既存の記事」 で、事実上言明しました。

ところが、あいにく、この記事を掲げた時には、忘れていたことがあります。

「私自身が、かつて、他社のセキュリティ ・ システムを体験したことがある」。

これを、すっかり忘れていました。

もしこれを覚えていたら、この 「A: 既存の記事」 に盛り込んだのは、言うまでもありません。

そうすれば、記事の説得力が、はるかに高まったのは明らかです。

今から30年くらい前の出来事です。

そのため、すっかり忘れていました。

1カ月くらい前に、やっと思い出しました(笑)。

そこで、今回、この 「補足記事」 を、掲げました。

----------

当時、ある電子機器メーカーに勤めていました。

これを、仮に 「A社」 とします。

(なお、それより前に長年勤めた 「無線機メーカー」 とは異なります)。

この 「A社」 は、工業用の電子機器を設計製造していました。

小さな会社ですが、客先は、大手の企業や、大学の研究室など、力のあるところから受注するのが、同社の方針でした。

その一環として、放射性物質を扱う、ある企業に、制御装置などを、いろいろと納入していました。

この企業を、仮に 「Z社」 とします。

それらの装置を、「Z社」 の要請により、毎年、定期点検を行っていました。

そのため、私自身、「Z社」 に何回か、出向きました。

「A社」 は、東京都内にあります。

一方、「Z社」 は、東京から車で何時間もかかる、地方にあります。

周囲に何もない 「広大な敷地」 の中に、いくつもの建物が、点在しています。

放射性物質を扱うためか、建物同士の距離を大きく取っています。

建物同士の間には、多くの樹木や、芝生などが、広がっています。

ただし、「Z社」 は、原子力発電所ではありません。

それよりも、はるかに放射能は弱い所です。

そのため、「A社」 の社長は、社員たちの前で 「原発じゃないから、放射能なんて、心配いらないよ」 と笑っていました。

(原発ではなくても、放射性物質を扱う場所なので、私個人としては、あまりいい気持ちはしませんでしたが)。(仕事なので、仕方がありませんでした)。

( 「A社」 は数年でやめたので、放射性物質とも、完全に縁が切れ、ホッとしました)。

(技術者としては、珍しい貴重な体験をしたとも言えますが)。

( 「福島第一原発の大惨事」 で、現場で働く人々の苦悩が、マスコミを通じて伝わってきました)。
(他人事とは、思えない気持ちがしました)。

----------

「A社」 が納入していた装置類は、数ある建物の中で、1棟だけでした。

それ以外の建物に対しては、何も納入していません。

そのため、定期点検に出向くのも、この1棟だけでした。

それを、以下の図で示します。

「A社」 が装置類を納入していた建物

(図1) 「A社」 が装置類を納入していた建物
(出典: 自分で作成)

※※ 当記事の各図は 「拡大図付き」 です。マウスの左クリックで、「拡大図、元の図」 に切り替えられます。

※※ 図を参照しながら、本文をご覧になる場合、当記事を 「二つのタブ」 で同時に開き、一方のタブを 「図の表示専用」 にすると、非常に便利です。


この 「図1」 は、説明のための、単なる概念図 (イメージ図) です。

建物の 「正しい見取り図」 とは、まったく異なります。

また、「放射線管理区域」 の名称は、記憶していますが、「清浄(?)区域」 の名称は、当時、何と呼んでいたか、記憶がはっきりしません。
(あるいは、記憶違いかもしれません)。
(そのため、念のために (?) を、追加しておきました)。


なお、「放射線管理区域」 内の右側に 「放射性物質あり」 の区域があります。

建物の外側から、この区域に、「放射性物質を出し入れする、搬入口」 があるはずです。

しかし、それは、まったく見ていないので、この図では、あえて盛り込みませんでした。


「清浄(?)区域」 から、「放射線管理区域」 に出入りする 「入り口」 も、何カ所もあるかと思いますが、これも見たことがないので、この図に盛り込んでいません。


「A社」 が納入した装置類は、「放射線管理区域」 内の左側にある 「放射性物質なし」 の区域だけに設置しています。
(点検作業も、この区域で行います)。

----------

以下、「セキュリティ ・ システム」 について述べます。

「図1」 で、「清浄(?)区域」 には、誰でも、基本的には自由に入れます。

一方、「放射線管理区域」 には、自由に入れません。

そのために、「セキュリティ ・ システム」 を設けてあります。

「A社」 に限らず、部外者が、この 「放射線管理区域」 に入るには、必ず 「Z社」 の社員が立ち会い、同行します。

(注) 「放射線管理区域」 に入るには、誰でも、必ず 「放射線管理手帳」 を取得する必要があります。
これは、所定の講習を受けて、修了試験に合格すれば、取得できます。
ただし、今でも、この制度がそのまま続いているのか、制度の変更があったのか、そこまでは分かりません。


「Z社」 の社員が、入り口ドアの脇にある、「電気錠 (暗証番号入力器)」 に暗証番号を入力します。

当然、電気錠が自動的に、ドアを解錠します。

このドアは、廊下の途中にあります。

窓も何もない、鉄扉です。

それから、ドアを開けて入ります。

「Z社」 の社員、「A社」 の社員たち、全員が入ったら、ドアを閉めます。

そうすると、外からは、ドアは開きません。

「外」 とは、言うまでもなく、「清浄(?)区域」 のことです。


ドアの説明図

(図2) ドアの説明図
(出典: 自分で作成)

「図2」 の通り、内側 (放射線管理区域) には、「電気錠 (暗証番号入力器)」 がありません。

そのため、誰でも、自由にドアを開けて、外側の 「清浄(?)区域」 に出られます。

ただし、「放射線管理区域」 から、勝手に出ることはできません。

自分自身はもとより、定期検査のために持ち込んだ測定器や工具類も、放射能で汚染されていないか、検査する必要があります。

検査でOKとなれば、初めて、出ることができます。
(基準値以下であればOKです)。

したがって、ドアを開けて外に出るのも、「Z社」 社員の指示に従う必要があります。

この点を別にすれば、ドアを開けること自体は、上記の通り、誰でも、自由にできます。

----------

ここで大事なことは、いずれの場合であっても、「セキュリティ ・ システム」 自体は、「常時動作し続けている」 点です。

----------

「A社」 の社員たちが、「放射線管理区域」 に入るために、「セキュリティ ・ システム」 を、あらかじめ停止しておく必要性は、まったくありません。

----------

この点に、ぜひとも注目して下さい。

「Z社」 の社員が同行しているからではありません。

「Z社」 の社員が同行する、しないの問題ではありません。

「A社」 であろうが、「B社」 であろうが、「C社」 であろうが、誰でも、「セキュリティ ・ システム」 を、あらかじめ停止する必要性は、まったくないのです。

もちろん 「Z社」 の社員も同様です。

もし仮に、「放射線管理区域」 に入るために、「セキュリティ ・ システム」 を、あらかじめ停止する必要があるならば、「Z社」 の社員が入る時も、あらかじめ停止しなければ、いけなくなります(笑)。

結局、「Z社」 の社員も含めて、誰が入る時も、あらかじめ停止しなければ、いけなくなります。

これでは、「放射線管理区域」 に、不審者が入らないように防ぐ、「セキュリティ ・ システム」 の意味がなくなってしまいます(笑)。

「セキュリティ ・ システム」 が動作しているからこそ、「正しい暗証番号の入力」 をきちんと行ったか、行わなかったかを、システム側が、正しく判定できるのです。

それによって、「不審者を阻止」 できるのです。

そのための 「セキュリティ ・ システム」 です。

一方、「セキュリティ ・ システム」 の判定を受けて、正当に 「放射線管理区域」 に入った人たちならば、不審者ではないと、「セキュリティ ・ システム」 が認めたことになります。

したがって、「放射線管理区域」 に入った人たちが、外に出る場合は、前述の通り、誰でも、自由にドアを開けることができるシステムになっているわけです。

だからこそ、「セキュリティ ・ システム」 は、常時動作し続けるのが、当たり前です。

誰かが入ってくるために、あらかじめ、動作を停止しておく必要性、必然性は、まったくありません。

もし、そのような 「セキュリティ ・ システム」 があったら、それは、まったく使い物にならない 「インチキ ・ システム」 です(笑)。

そのようなことを、「しては、いけない」 のです。

----------

もう一つ、別の実例があります。

昨年、羽田空港にある、日本航空の格納庫や展示室を、見学しました。

(B: 他者サイト)
『JAL 工場見学 SKY MUSEUM 』
https://www.jal.co.jp/kengaku/

この 「工場見学」 は、無料で、不特定多数の一般人を対象としているようです。

私の場合は、マイレージ ・ サービスによる、見学です。

そのため、内容が少し濃い、「夜間の見学コース」 に参加しました。

この 「B: 他者サイト」 では、そこまでは掲示していません。


それはともかくとして、この見学でも、同社の 「セキュリティ ・ システム」 を体験しました。

この 「B: 他者サイト」 で、TOPページの先頭部に、画像が、3枚、自動的に連続表示されます。

この2番目の画像に、「セキュリティ ・ システム」 のゲートが写っています。
(見学した当時に比べて、ゲートの構造が少し変わっているかもしれません)。

このゲートのすぐ右側に、受付カウンターが写っています。

ここで、手続をして、入館証を受け取ります。
(これとは別に、守衛所が、建物の外にあります)。

この入館証を、自分で、ゲートのセンサー部に当てます。

そうすると、このゲートが開き、館内に入れます。

「セキュリティ ・ システム」 が、動作し続けている状態で、館内に入るために入館証があるのです。

入館するために、あらかじめ動作を停止しておく必要性など、まったくありません(笑)。


ただし、この件も、「A: 既存の記事」 を作成する時には、すっかり忘れていました(笑)。

そのため、これも、「A: 既存の記事」 に盛り込むことができませんでした。

----------

繰り返しになりますが、前掲の 「 (図2) ドアの説明図」 で、中から外に出る場合、ドアは誰でも自由に開けられます。

「セキュリティ ・ システム」 を解除しておく必要は、まったくありません。

(注) 「放射線管理区域」 から外に出る時、放射能汚染を検査する必要がある点は、ここでは別問題なので、触れません。

----------

ここで、「最初の話」 に戻ります。

(引用A ・ 再掲)
======================================
八田 《はった》 英明社長によると、十八日は打ち合わせがあったことから、建物入り口のセキュリティーを解除していたという。
======================================
(引用A ・ 再掲。以上)


>打ち合わせがあったことから、建物入り口のセキュリティーを解除していた

これを、よく見て下さい。

「ウソ発言だと」 明らかに分かるはずです。

すでに述べた通り、内側からならば、「セキュリティ ・ システム」 が動作中でも、自由にドアが開くのです。

もちろん、「京都アニメーション社のセキュリティ ・ システム」 と、前掲 「図1、図2」 の 「セキュリティ ・ システム」 では、構造が大きく異なるかと思います。

しかし、「不審者を阻止する目的」 は、まったく同じはずです。

したがって、「外側からは勝手に開けられない。しかし、内側からは自由に開けられる」、その基本構造は、まったく同じはずだと、言えます。

「京都アニメーション社」 に限らず、一般の建造物では、訪問者が、建物内部の社員に、用件を伝えるインターホン、あるいは少なくとも、呼出しチャイムがあるはずです。

それを用いて、訪問の意図を伝えれば、相手の社員が、内側から玄関ドアを開けてくれるのは、分かりきったことです。

もちろん、この時、「セキュリティ ・ システム」 は、通常通り動作しています。

したがって、「あらかじめ、セキュリティ ・ システムを解除しておく必要性」 は、まったくありません。


「引用A ・ 再掲」 を見ると、この社長発言は、「とんでもないウソ発言」 と、言わないわけにいきません。

社長は、放火事件の 「共犯者の一人」 なのは明らかです。

マスコミも 「共犯者の一員」 です。

テレビ局や、新聞社の人たちは、取材や、その下調べなどで、毎日のように、多数の企業などを訪問しているはずです。
(ただし、現代では、直接訪問をせず、「電話取材」 が主流らしいですが、ここでは触れません。なお、これは、「新型コロナウイルス騒ぎ」 以前の話です(笑))。

その結果、各企業のさまざまな 「セキュリティ ・ システム」 を、自分たち自身が、何度も体験しているのは目に見えています。

さらには、自社の 「セキュリティ ・ システム」 も、毎日体験していることになります。
(自社に、そのシステムがあれば)。

したがって、「訪問者があるからといって、あらかじめセキュリティを解除しておく必要性は、まったくない」 ことを、知らないはずがありません。

知っていながら、知らない振りをして、「引用A」 のような、「わざとらしいウソ報道」 を行っているのは明らかです。

マスコミも 「共犯者の一員」 と言わないわけにいきません。

「引用A ・ 再掲」 の出典 「東京新聞」 に限らず、マスコミ全体が、同じ共犯者です。

----------

前述した、「日本航空の格納庫見学」 では、終了後に、このゲートから、各自が、勝手に自分一人で退出するシステムになっています。
(見学当時の話です。現在の状況は、分かりません)。

この時点では、受付には、誰もいません。

完全な無人状態でした。

しかも、ゲートの内側には、「入館証のセンサー」 らしきものが、見当たりません。

これについて、日航側からは、事前説明は何もありませんでした。

どうやって、外に出るのか、分かりませんでした(笑)。

やがて、運良く、日本航空の社員らしき二人づれが、後からやってきました。

その人たちの動きを、見ていました。

そうしたら、ゲートを手で開けて、さっさと外に出て行きました。

試しに、自分でもやってみました。

簡単にゲートが開きました。

あまりにも、あっけない思いがしました(笑)。
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訂正を、1件追加します。 <R2 / 2020-12-26>

上記の 「9行分」 を、訂正します。

当ブログ (アサブロ) は、「取り消し線が (事実上) 使えない」 ので、修正カ所を言葉で表現するしか出来ません。

(C: 9行)
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しかも、ゲートの内側には、「入館証のセンサー」 らしきものが、見当たりません。

これについて、日航側からは、事前説明は何もありませんでした。

どうやって、外に出るのか、分かりませんでした(笑)。

やがて、運良く、日本航空の社員らしき二人づれが、後からやってきました。

その人たちの動きを、見ていました。

そうしたら、ゲートを手で開けて、さっさと外に出て行きました。

試しに、自分でもやってみました。

簡単にゲートが開きました。

あまりにも、あっけない思いがしました(笑)。
==================================
(C: 9行。以上)


「ゲート」 から退出する時、「入館証のセンサーを用いて、ゲートを開いたはず」 と、思い直しました。

当記事を作成した時は、上記 「C: 9行」 の通りに、考えていました。

ところが、まったく 「記憶違い」 のようです。

この時の 「入館証」 が、手元にあると気付きました。

この 「入館証」 は、1回限りの使い捨てなので、ゲートの外で回収はしていません。
(ただし、「使い捨て」 とは、どこにも書いていません)。
(一方、見学当日の日付が、印刷してあるので、その日以外は、使えないのは明らかです)。

そのため、自宅まで持ち帰りました。

帰宅後、捨てることなく、目の前にある 「書棚」 に入れたまま、すっかり忘れていました。

先日、これが手元に残っていたと、やっと気付きました(笑)。

格納庫見学の入館証

(図3) 格納庫見学の入館証
(出典: 自分で撮影)

この 「図3」 が、手元に残っていた入館証です。

※ 一応、念のため、センサー用のバーコード部分は、見えなくしてあります。


この 「入館証」 に、注意事項として、「入館時 / 退館時にゲートのリーダーにバーコードをかざしてください」 と明記してあります。

ところが、これを、まったく読んでいません(笑)。

ゲートを通って入館後は、首から、ぶら下げたままで、「入館証」 は、まったく眼中にありませんでした。

実際の 「見学」 のことで、頭が一杯になっていたからです(笑)。

もし、この注意事項を読んでいれば、退館時には 「ゲートのセンサーに、バーコードを当てれば良い」 と、容易に理解できました。

そうすれば、上記 「C: 9行」 のような、「無意味な、もたつき」 は、まったく起こらなかったのは、言うまでもありません。
(受け取ったものは、必ず目を通しておくべきだと、痛感しました)。

したがって、「C: 9行」 で述べた、「ゲートを手で開けた」 のは、完全な 「記憶違い」 だと、思います。

ところが、「記憶違い」 だと、断言できません。

なぜならば、この部分の記憶が、今ふり返ってみると、「まったく抜け落ちている」 からです(笑)。

退館のため、歩きながらゲートに近づいたのは、覚えています。

そして、簡単にゲートが開き、そのまま退館したのも、はっきり覚えています。

ところが、一番肝心の、「どうやってゲートを開いたか」 この部分の記憶がまったくありません(笑)。

記憶が、違っている、違わない、の問題ではありません。

記憶が、そもそも存在しないのです(笑)。

にもかかわらず、上記の通り、当記事を作成した時点では、自分の手でゲートを開いたと、思い込んでいました。

したがって、「C: 9行」 で述べた、「>日本航空の社員らしき二人づれが、…… ゲートを手で開けて、さっさと外に出て行きました」 の部分も、「記憶違い」 だと思います。

おそらく、社員証のバーコードを、歩きながらセンサーに当てて、ゲートを開き、そのまま歩みを止めることなく、通り過ぎたのだと思います。
(そのため、当記事を作成した時点では、手で開けたと、思い込んでしまったわけです)。

----------

この見学を行ったのは、昨年です。

何年も前ではないにも関わらず、とんでもない 「思い違い」 をしてしまいました。

結局、これは、「老人ボケ」 のせいだと、思わないわけにいきません(笑)。

困ったものです(笑)。

余計なお手数をかけてしまい、大変申し訳ありません。

----------

なお、「C: 9行」 の最終行、「>あまりにも、あっけない思いがしました」 これは、事実です。

この「C: 9行」 で述べた通り、どうやってゲートを開けたら良いのか、当初、迷いました。

しかし、結果的には、すんなりゲートが開き、簡単に退館できたので、「あっけなく思った」 のは事実です。

例えば、駅にある、無人の自動改札機を通り抜けるのは、言うまでもなく、慣れています。

一方、企業の建物入り口に設置してある 「セキュリティ ・ システム」 を通り抜けるのは、まったく慣れていません。

まして、それが初めて行く建物ならば、なおさら、どのようにするのか、迷わないではいられません。

これ自体は、仕方がないことだと思っています。
(老人ボケとは、意味が異なります(笑))。

ただし、他の人々ならば誰でも、「退館時も、入館証を使って、ゲートを開くに決まっている」 と、容易に分かるのかもしれません。

もしそうであれば、やはりこれも、老人ボケかもしれませんが(笑)。

----------

本題に戻りますが、日本航空の、この建物で 「セキュリティ ・ システム」 が、動作しているのは明らかです。

日本航空に限らず、どこの企業でも、「訪問者があるので、あらかじめセキュリティ ・ システムを切っておく」 必要性など、あり得ません。

それは、「当記事全体」 を通して、すでに述べた通りです。

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以下は、おまけです(笑)。

せめてもの 「口直し」 として、見学時の写真を、いくつか掲示しておきます。
( 「口直し」 になるかどうか、分かりませんが)。


格納庫内の様子

(図4) 格納庫内の様子
(出典: 自分で撮影。以下すべて同じなので、省略します)

この手前にも 「別の格納庫」 があり、通路を歩きながら、見学しました。

格納庫の、左壁面に沿って通路があります。

最後に、階段で、床に降りる構造になっています。


前脚の格納部 (手前が機首)

(図5) 前脚の格納部 (手前が機首)

「図5 ~ 図8」 は、上の 「図4」 で、一番奥にある機体 「ボーイング777型機」 の写真です。


右側の主脚

(図6) 右側の主脚

実際に見ると、この写真よりも、非常に大きく迫力があります。

車輪が、前後に3個、並んでいます。
(大型機でも、他の機種は、2個だけです)。
(特に機体が大きい、ボーイング777型機、特有の構造です)。

(ただし、エアバス社の2階建て巨人機、A380型機は、胴体側の主脚が、このボーイング777型機と同じ、3個あります。主翼側の主脚は、2個です)。

それが、脚柱をはさんで、左右2列あります。

合計、6個の車輪です。


客室内

(図7) 客室内

黄色が強すぎ、色がおかしくなっていますが、うまく修正できません。
ご了承下さい。

これは、ファースト ・ クラスの座席です。

機首側の 「搭乗口」 から入って、右すぐの場所です。

海外旅行で、乗った経験を、お持ちかもしれませんが。
(私は、海外旅行は、一度もありません(笑))。


主翼前方の貨物室

(図8) 主翼前方の貨物室

これは、言うまでもなく、客室の床下部分です。

かなりの 「奥行き」 があります。

非常に大きいとの印象を受けました。

これだけあれば、かなりの航空貨物を輸送できそうです。



エンジン

(図9) エンジン

これは、機体から外して、床の上に、いくつも並んでいるエンジンの一基です。


※ 一番肝心の、「操縦室内」 の写真を撮るのを忘れました(笑)。

客室 (全体ではなく、「図7」 の区域だけ) と、操縦室も見学しました。

シミュレーターではない、本物の大型ジェット旅客機の操縦室に入ったのは、これが初めてです。

機長席にも座りました。

そのため、操縦室内を眺め回すのに夢中となり、撮影するのを、すっかり忘れました。

高年齢なので、これが、最初で最後の体験となる可能性があります。

撮影を忘れたのは、非常に大きな失敗でした。

これも、老人ボケかもしれません(笑)。

<R2 / 2020-12-26>
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これも、「セキュリティ ・ システム」 が、自動的に判別しているのは、明らかです。

館内にいる人物は、不審者ではない。

したがって、自分で勝手にゲートを開けて、退出して構わない。

一方、正規の入館証を持たないものは不審者と見なし、外側からは、ゲートを開けることができない。

このような動きをしているのは、目に見えています。

「セキュリティ ・ システム」 が、このような動きをしているのです。

だからこそ、「あらかじめ、セキュリティ ・ システムを解除しておいた」 のは、とんでもない 「わざとらしいウソ発言」 です。

安倍首相や、菅首相が、毎日、多種多様のウソ発言を行っているのと同じです。

【続編】 日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(続編2・最終回)2020年08月07日

[カテゴリ: 社会問題>支配]

「第1回目の記事」 から続きます。
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/08/01/9274319

今回が 「最終回」 です。

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補足の 「2件目」 です。

補足対象は、以下の 「D: 第2回目の記事」 です。

(D: 第2回目の記事)
『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(2・最終回)』
2020年07月25日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/18/9269442


この、「16-A ~ C」 で、「終戦 / 敗戦」 について述べました。

>「第1回目記事」 の、「14-A ~ C」 の通り、負けるために、わざと行ったのです。

>(世界を支配している者たちが、このような日本政府を、裏から操っています)。

----------

「日本政府」 および、「世界の支配者」 に関して、述べます。

換言すれば、

◎太平洋戦争 (その前の、「日中戦争」 を含む)
◎ 日本政府 (日本軍、さらには天皇を含む)
◎ 第2次世界大戦
◎ 世界の支配者 (金融面に関して)

これらの関連性について述べます。

----------

(E: 図書 (高橋著書))
高橋五郎 ・ 著 『天皇の金塊』 (Gakken = 学研パブリッシング)

この 「E: 図書」 によれば、この戦争には 「巨大な裏」 があります。

「太平洋戦争」 に負けたはずの 「日本政府」 は、裏で 「ボロ儲け 《もうけ》」 をしました。
(天皇も、「ボロ儲け」 をしたとのことです)。

一方、「日本国民」 は、「ボロ儲け」 どころか、死ぬほど大変な目に遭ったのは、言うまでもありませんが。


(F: 図書 (中矢著書))
中矢伸一 ・ 著 『ロックフェラー、ロスチャイルドを超える 「奥の院」 が これからは日本の時代だと決めた』 (ヒカルランド)

この 「F: 図書 (中矢著書)」 が、上記の 「E: 図書 (高橋著書)」 に言及しています。

一部を、引用します。

(F-1: 引用) 29ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 原文にはない 「ふりがな」 を追加しました。
==================================
<見出し>

天皇の秘密資金は本当にある --- ある筋も認める 『天皇の金塊』

<本文>

 猪島さんは 「M資金」 に関わっていたと書いたが、本人はそれについては一切否定していたようだ。


 「M資金」 の話は戦後、いろいろなところで噂 《うわさ》 されたが、ほとんどが都市伝説の類か、それに近い詐欺話に過ぎない。

しかし、ほんの一部ではあるが、中には真実の情報も含まれていた。

猪島さんが関わっていたのは真実の方だった、と私は思っている。


 この資金の話については、高橋五郎氏の書かれた 『天皇の金塊』 (学研) という本に詳しい。

この本に書かれていることは、全部が全部正しいわけではないが、だいたい7割方はこのとおりです、と私は 「ある闇の勢力筋」 から聞かされている。
==================================
(F-1: 引用。以上)


「F-1: 引用」 を見ると、上記の 「E: 図書 (高橋著書)」 は、7割くらいは正しいと、指摘しています。

この 「7割くらい」 という数字が、本当に正しいかどうか、素人の私には分かりません。

しかし、「E: 図書 (高橋著書)」 は、着目する価値が十分あると思っています。

----------

さらに、「F: 図書 (中矢著書)」 を引用します。

(以降、全体的に 「引用が長い」 ですが、「素人が下手な説明を加えるより、分かりやすい」 ので、ご了承願います)。

(F-2: 引用) 29 ~ 32ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 引用文中で、「大東亜戦争」 とは、「太平洋戦争」 のことです。
==================================
 『天皇の金塊』 に書かれている内容は、あまりに壮大なミステリーのようなものなので、にわかには信じがたいかもしれない。


 天皇家には2000年以上におよぶ歴史の中で蓄えられてきた莫大な資産がもともと存在したが、大東亜戦争の時、南方に進出した日本軍によりアジア12ヵ国に属する金銀財宝の 「略奪」 が行われ、さらに莫大な資産が溜め込まれた。

これが 「天皇の金塊」 と呼ばれるものである。


 日本は戦争に突入する前から国内にも相当の金を保有していたというから、当時としては圧倒的に世界一の金保有国だった。


 これら 「略奪金塊」 はいったんフィリピンに集められたが、米国により海上ルートを封鎖されたため、日本国内へ移動させることができなくなった。

そこでフィリピンの175ヵ所に地下サイトをつくり、分散する形で保管した。

そしていよいよ敗戦が濃厚となった1945年6月1日、日本軍は最後のトンネルを爆破して、埋設作業をすべて完了したという。


 この埋蔵金話は 「山下財宝」 としても知られるが、同著ではこの膨大な金塊を 「黄金の百合 (ゴールデン ・ リリー)」 と呼んでいる。


 高橋氏によると、「最後に爆破した地下倉庫8号サイト 一ヵ所に蓄えられた金塊の量だけでも、第一次大戦時に世界一の金塊保有量 (公称3千数百トン) を誇ったアメリカの全量の10倍を上回る勘定になる」 という。

(中略)

 戦争終結後、フィリピンの財宝はトンネルの闇に葬られたが、現地人の噂を聞きつけたマルコス元大統領がその一部を発見したことで、米国に情報が漏れ、彼らも 「黄金の百合」 の全貌を知るようになったという。


 国際法上では、見つかった 「略奪金塊」 は、連合軍とフィリピンの所有物になるそうだが、これだけの量の財宝となると、そう簡単にはアメリカも許さない。


 結局、マルコスは1986年に失脚し、米国 (ハワイ) に亡命、そのまま死去した。


 戦後、日本は ”奇跡の復興″ と呼ばれる高度成長を成し遂げた。

それは、日本人の勤勉さの賜物であり、国民一丸となって努力した結果でもあるが、じつは、戦後復興に際して、一度は天皇からアメリカに差し出した莫大な金を原資とするマネーが還流する形で日本に戻り、これが高度成長を後押ししたと言われている。


 そしてこの資金の情報の一部が、いわゆる 「M資金」 として噂話に上るようになる。

実際に 「M資金詐欺」 を目論むブローカーから投資話を持ちかけられた人もいる。

だがその真相についてはごく一握りの人たちにしか知らされず、「M資金」 はたんなる作り話として片づけられた (実際、大半はそのような類であった)。


 ちなみに、この資金の存在に気づき、自らの政治活動に活かして大きくなった政治家もいる。

田中角栄である。

そのことも同著に詳しい。
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(F-2: 引用。以上)


一方、「天皇の金塊」 は、略奪したのではない、との説もあります。

「F: 図書 (中矢著書)」 を、さらに引用します。

(F-3: 引用) 32 ~ 35ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 「ふりがな」 は、原文の通りです。
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<見出し>

天皇の金塊は略奪したものか、預かったものか


<本文>

 『天皇の金塊』 によれば、日本軍が戦時中にアジア各国から戦利品として 「略奪」 したものであるという。


 しかしこれについては異説もある。


 略奪したのではなく、欧米にみすみす奪われるよりは日本に預かっていてほしいということで、日本がアジアの各王朝から一時的に管理を任されたというものだ。


 どちらが正しいかはわからない。

だが、後藤隆氏の 『謎の根元聖典 先代旧事本紀大成経 《せんだい くじほんき たいせいきょう》』 (徳間書店) という本を読んでいたところ、これに関する記述が出てきたので驚いた。

(中略)

…… 同著には終戦直後のエピソードとして、当時世間で騒がれたという、「東京湾で発見された大量の金塊」 の話が出てくる。

少し長くなるが引用してみよう。


 私 (後藤氏) が出会ったとき、彼はすでに 「宮東齋臣」 と称していたが、本名は 「宮東孝行 《くどう たかゆき》 」 という。

 高齢の方ならご存じかもしれないが、戦後すぐに政治団体を作り世を賑わせた 「ヒゲのクドウ」 である。

(中略)

 GHQの占領下、日本政府や政治家たちが表だって動けないような 「ヤバイ」 問題の処理も、宮東氏のもとに数多く持ち込まれた。

それを彼は 「日本国のため」 という一言で飲み干していた。


 そんなとき、とてつもない事件が彼のもとに持ち込まれた。

今では知る人も少ないが、M資金の噂のもととなった 「東京湾金塊事件」 である。


 一九四六年 (昭和二十一年。終戦の翌年) 四月六日、GHQ第三十二軍調査担当将校エドワード ・ ニールセン中尉の指揮のもと、東京湾月島付近に潜ったダイバーによって海底から膨大な量の金塊が発見された。

それは金のインゴットが約千本と、プラチナのインゴットが約二百本という、すさまじい量だったと報告されている。


 GHQは、それを日本陸軍の隠し資産として持ち去ってしまった。


 だが、実はその金は日本のものではなかった。

それは戦時中にベトナム王朝の子孫から 「祖国復興のための資金」 として日本が 「預かった」 ものだったのだ。

日本は敗戦に際しても、決してその金に手をつけず、ベトナムとの約束を守り、隠し通そうとしていた。


 それをアメリカが持ち去ってしまった。

当然のごとく日本側は抗議をした。

しかし抗議をした人たちは次々と変死を遂げていく。

そんなときに 「何とかしてほしい」 と頼まれ、GHQと渡り合ったのが宮東氏だった。

(中略)

 ともかく、ここで出てくる ”月島で発見された金塊” とは、「天皇の金塊」 の一部である。

それは、日本軍が略奪したものではなく、王朝から預かったものだったという説を、後藤氏の記述は裏付けている。
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(F-3: 引用。以上)


「天皇の金塊」 は、略奪したものかどうか、「当記事の文末」 で、わずかな私見を述べます。

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前述の、「E: 図書 (高橋著書)」 を、いろいろ引用します。
高橋五郎 ・ 著 『天皇の金塊』 (Gakken = 学研パブリッシング)

(E-1: 引用) 206 ~ 208ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 「ふりがな」 は、原文の通りです。
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<見出し>

● 金 《キン》 が戦争の帰趨 《きすう》 を決めた事実の口封じで米国傀儡 《かいらい》 「ニキサンスケ 《5人組》 」を戦犯に


<本文>

 金 《キン》 が戦争の帰趨を決めた。

それを証明した主人公たちが 「ニキサンスケ」 だ。

つまり、陸軍大将の東條英機と中国大陸で麻薬売買に活躍した星野直樹という名前の末尾がキで終わる2人の 「ニキ」。

戦時下の満州とニッポンで政官組織を仕切った岸信介、日産自動車を立ち上げた財閥家の鮎川義介、外交官で政治家の松岡洋右 《ようすけ》 の 「サンスケ」。

合わせて 「ニキサンスケ」 と世間から茶化され畏怖されたいわゆる 「戦犯」 5人組だ。


 戦勝国が彼らを戦犯指名した理由は口封じのためだった。

つまり、「金 《キン》 が戦争を動かした事実」 を世間に知らしめないためだった。

「ニキサンスケ」 たちが、実は戦争を金 《キン》 で勝利させた大功労者たちなどだとは露とも知らない世間は、5人組を悪名高い戦犯として侮蔑 《ぶべつ》 した。

だが、連合国は5人組が世界戦争の帰趨 《きすう》 を決める金 《キン》 に深く関与していた秘密を熟知していた。

大切な秘密を口外されては困るのだ。


 戦争を武力の争いと信じるのは一般常識。

だから武力で負けた国の戦争指導者5人組が戦犯として断罪されるのは当然だと誰もが思う。

世間のそんな常識を戦勝国は巧みに利用した。

戦争の帰趨を決めるのは武力ではなく実は金 《キン》 にあることを知る戦勝国は、戦争終結と同時に金 《キン》 の力の秘密を知る5人組をことさら戦犯として断罪することで秘密を覆い隠しにかかったのだ。

 都合の良いことに、戦勝国が知られたくない金 《キン》 と戦争の鉄則を5人組が知るなどとは想像もつかない世間の常識は、武力で敗れた戦争指導者たちの戦犯指名は当然だと認めている。

こんな世間の常識に便乗して、戦勝国は5人組を堂々たる戦犯に仕立てて口封じに成功した。

つまり、金 《キン》 が戦争の帰趨を決めた事実を隠すことにGHQはまんまと成功した。
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(E-1: 引用。以上)


以下に引用の通り、戦争には、「表の戦争」 と、「裏の戦争」 があると、「E: 図書 (高橋著書)」 は、指摘しています。

(E-2: 引用) 210 ~ 212ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 「ふりがな」 は、原文の通りです。
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<見出し>

● 実益と金塊奪取が 「本物の戦争」、実損あるのが 「見せかけの戦争」


<本文>

 戦争には裏表二面がある --- というのが、戦後の世間に遺した5人組の遺訓 《いくん》 だったといえた。

裏面にある 「本物の戦争」 と表面に見える 「見せかけの戦争」 だ。

金 《キン》 こそが戦費を賄い、かつ戦後の実益をもたらす。

これが5人組のDNAつまり戦争認識だった。

前述したように 「本物の戦争」 の目的は実益としての金塊奪取にあり、武力はその手段にすぎない。

それが 「本物の戦争」 の姿であることを5人組は戦争で完璧に証明した。


 5人組は強奪金塊で戦費を賄いながら戦争を遂行した。

(中略)

 5人組が信じた 「本物の戦争」 の視点に立つと、「見せかけの戦争」 の中身が分かり易くなる。

たとえば、戦争の現場を知る将兵たち、死地をさまよった本人の体験、身内や友人たちの肉声、手記や新聞、教科書、歴史小説や百科事典など活字や写真、それに映画やテレビなどの映像ほかが語る戦争、これが 「見せかけの戦争」 の中身だ。

(中略)

「見せかけの戦争」 はウソの戦争ではないが、「本物の戦争」 ではない。

「見せかけの戦争」 で敗れた国々の民には実損のみが伴うだけで実益は皆無。

「本物の戦争」 には実益が伴う。

簡単にいえばこれが2つの戦争の違いだ。


 5人組は 「見せかけの戦争」 に負けたものの 「本物の戦争」 に勝った。

いわば、試合に負けて勝負に勝ったのだ。

だが、「本物の戦争」 の実相を国民には明かさなかった。

政府は 「見せかけの戦争」 のみを国民に実感させて、真実を知らされない敗者だけ味わう 「悲劇」 を国民に遺した。

戦争の秘密を知らされることなく、いや、知ることもなく 「悲劇」 のみ押し付けられた国民は戦争を総括するすべを持たず戦後の現在を迎えている。

「本物の戦争」 からは耳目を塞がれた国民には、一銭五厘のハガキ1枚で強制出兵させられて財産と命を奪われる 「見せかけの戦争」 の実感だけが残った。

(中略)

 繰り返し述べてきたが、サムライ軍団のいわば育ての親はニッポン開国以来の西欧合理主義者 (超合利商法に徹する金融商人) たちだ。

(注) 「超合利」 の 「利」 は、「原文で、意識的に」 表現しています。


明治政府を樹立させ日銀開設を仕向け、5人組を育てたその西欧の金融商人たちが 「本物の戦争」 で入手した財宝文物 (戦利品) を堂々と開陳している現場が大英博物館。

ニッポンの5人組は、そんな育ての親たちのDNAを受け継いだそれも孝行息子たちなのであることを読者は思い浮かべて欲しい。


 育ての親たちが繰り返してきた過去と、5人組の行いとが重ならない道理はあるまい。

5人組は育ての親仕込みの 「本物の戦争」 を忠実になぞった孝行息子たちなのだ。
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(E-2: 引用。以上)


間もなく、「8月15日」 が、やってきます。

毎年、この時期になると、テレビや新聞では、戦争に関する報道やドラマなどが急増するのは、ご存じの通りです。

しかし、それは、「E-2: 引用」 の言う、「見せかけの戦争」 だけを扱っています。

「本物の戦争」 は、決して伝えません。

これからも、日本国民に限らず、世界中で大多数の人々は、だまされ続けることになります。

「本物の戦争」 で、日本政府が 「ボロ儲けした」 具体例を、「E: 図書 (高橋著書)」 から引用します。

(E-3: 引用) 213 ~ 217ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 「ふりがな」 は、原文の通りです。
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<見出し>

● 「見せかけの戦争」 には負けたが、ニッポン政府のフトコロ 《収支勘定》 は大黒字で堂々の勝ち戦 《いくさ》


<本文>

 1937年 (昭和12年) の日中戦争から1945 (昭和20年 --- 正確には47年まで) の太平洋戦争終結までにニッポン政府が戦争に投じた戦費総額は7559億円 ( 『昭和財政史』 第四巻)。

では損得勘定はどうだったか。

一言でいえば戦争はニッポン政府に桁外れの大儲けをもたらした。

政府は投じた戦費7559億円の数倍いや数十倍の見返り利益を手にした。

この利益が5人組が勝ち取った実益の一部だ。


 儲けの決め手が本当に金塊にあったのかどうかは戦費を扱った銀行の報告書が裏付けている。


 「終戦年の8月15日直前、我が国は中北支に於ける預け合いを金塊でもって完済した。何時の世にまさに破れんとする国家が終戦の直前、金塊をもってその軍事費を弁済した例があろうか」 (横浜正金銀行の鼻息荒い報告書)。


 戦費会計の遣 《や》 り繰り (預け合い) を担当した日本資本の朝鮮銀行と横浜正金銀行 (のちの東京銀行、つまり現在の東京三菱UFJ銀行) は、金塊で戦争の収支をまとめ上げたとテンション高く自負しているのである。

(注) 「東京三菱UFJ銀行」 は、原文の通りです (正しくは、三菱東京UFJ銀行です)。


そこで、報告書の信憑性を本稿はこれから説明する。


 銀行帳簿によれば、戦費総額7559億円の半分を手持ち金塊で、そして残り半分を紙幣 (銀行券) で、戦費を清算処理したとある。

もっとていねいに説明すると、ニッポン政府は、現物の金塊を手にするその一方で、前述の 「信用創造」 のメンバー国の地位でなければ戦争も清算もおぼつかなかったニッポン戦時政府の台所事情を報告書は暗に認めている。

つまり、ニッポンの戦争は金塊に始まりその金塊をマネー ・ ロンダリングして収支勘定では大黒字になったということだ。

すなわち、ニッポンが実益を伴った 「本物の戦争」 に勝ったという意味になる。


 ニッポン政府 (5人組) は軍人とヤクザ者を総動員して隣国アジア12ヵ国に押し入った。

狙いは現金化が早くて世界に価値が通じる金塊の奪取だ。

その結果、ニッポン政府は望外の金塊財宝と世界的文化財類まで溜め込んで終戦を迎えた。


 最初から金塊の強奪を開戦目的に置いたニッポン政府は首尾よく戦争を完遂したのだ。

国民が信じた 「見せかけの戦争」 や精神論からは実益は生まれない。

5人組の成果は銀行帳簿が端的に語っているとおりだ。

(中略)

<見出し>

● 本土各所に持ち込まれた金塊財宝秘匿物の行方も規模も藪 《やぶ》 の中


<本文>

 戦前、戦中そして戦争終結時まで、ニッポン本土に運ばれて秘匿または鋳造された金塊と財宝の規模も薮 《やぶ》 の中だ。

政府 (当時の大蔵省 = 現在の財務省) が口を堅く閉ざして今も明かさないためだ。

世間に知られた金塊と財宝、たとえば戦後、東京月島の運河から回収された十数兆円規模と言われた金塊、あるいは日銀本店の地下室に保管された数十億円規模のダイヤモンド、プラチナ類の行方は当時の国会で石橋湛山や世耕弘一などの議員が追及したものの、蔵相池田勇人 《いけだ はやと》 は知らぬ存ぜぬを繰り返したのみで、行方も規模も不明瞭だ。


 「これほどの財宝を持ちながら、なぜ日本は戦争に負けたのか」。

前にも述べたが日銀に保管された金塊やダイヤモンドを点検したGHQ将校はこんな溜め息をついたものだとするエピソードだけが鮮かに残っているのみだ。

GHQがアメリカに持ち去ったそれらも薮の中だ。


 戦時中、ニッポン政府は報道機関も動員して国民から金歯や金縁メガネ、それに親が残した形見の宝石細工類までくまなく供出させた。

だが、個人から集めた金地金も金製宝飾類もその行方は戦後になっても不明のまま。

政府は拠出した国民に一部返還したと財務省は強弁しているが、大半はうやむやのままだ。

戦時政府が金塊を鋳造して流通、または溜め込んで戦費に使ったのは明らかだが、そうやって処理した全数量までは分からない。
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(E-3: 引用。以上)


「太平洋戦争」 も含め、「第2次世界大戦」 の全体を、金融面から取り仕切っていたのが 「BIS (国際決済銀行)」 だったと、「E: 図書 (高橋著書)」 が指摘しています。

(E-4: 引用) 221 ~ 228ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 「ふりがな」 は、原文の通りです。
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<見出し>

● 戦争は連合国も枢軸国も一緒に ”談合” して稼ぎに走った ”マネー ・ ゲーム” だった


<本文>

 大戦時の戦費の遣り繰りはその換金システムに全面依存した。

スムーズな戦費調達の必要性から、ニッポン、ドイツ、イタリアはいわゆる三国同盟関係を結んだ。

つまり、三国同盟の真実は、金塊換金のシステムを活用することにあった。

むろんこの真実は戦史家や政治思想研究者たちを落胆させるものだが、「本物の戦争」 はそれが真実なのだ。

戦費に使う金塊のためのいわば換金システムを共有するための三国同盟だったのだ。


 戦費資金の運用システムを24時間体制で管理したのはスイスの銀行で、その任を担 《にな》 った銀行が第二次世界大戦開戦のために1930年にバーゼル (スイス) に開設されたBISこと国際決済銀行 (Bank for International Settlements) だ。


 BISについて、スイス人の歴史家ジャン ・ トレップ ( 『国際決済銀行の戦争責任---ナチスと手を組んだセントラルバンカーたち』 駒込雄治 ・ 佐藤夕美共訳、日本経済評論社) はこう説明している。


 「BISの大戦時の理事には、アメリカ、ドイツ、イギリス、ベルギー、イタリア、それに日銀が派遣した銀行家たち、つまり交戦国同士が顔を揃えていた」 と。

 なぜ、交戦国が一同に介してBISに理事を送り込んだのか。

(注) 「一同に介して」 は、原文の通りです。


それは戦費を捻出 《ねんしゅつ》 して金塊を換金するシステム (マネー ・ ロンダリング機能) を共有するためだ。

戦争の実像がここにかいま見える。


 「各国の財政専門家たちが (BISに) 集うことは戦時中でも必要だった。なぜなら、国家主義よりカネのほうが強いからだ。彼らは大戦中も接触を絶やさないようにする必要があった。戦争が終われば再建の仕事が待っている。そのためには自由貿易が欠かせないからだ」


 これはBIS銀行の総裁トーマス ・ マッキトリック (アメリカ人) が、自国も戦時下にあるのに、国家主義論争より国際資本が生む利子のほうに関心があったとする発言だ。

この発言も前出のスイス人歴史家のジャン ・ トレップが明かしている情報だ。


 BISとの間で専 《もっぱ》 ら金塊の洗浄と資金運用を共有した銀行は、スイス国立銀行とドイツの国立銀行ライヒスバンクだ。

両行は共に、第一次世界大戦以来の銀行間の電信網 (ゴールド ・ カルテル銀行のネット ・ ワーク) を使って即座に金塊の洗浄と外貨管理をこなした中央銀行だ。

世界金融メンバーの1行として組み込まれた日銀もまたしかりだ。


 スイスとドイツの中央銀行に遅れて新設されたBISは、両行のノウハウを活用しつつ両行と緊密な関係を保ちながら戦争金融業務を展開した。


 「大戦中を通じて、われわれナチスはBISと取引を続けた。つまり、接触と関係が続いたのだ。ライヒスバンクが送り込む金塊を、われわれは終戦までずっと受け入れていた」


 これはBISの嘱託歴史家ピート ・ クレメント発言で、『 ヒトラーの秘密銀行---いかにしてスイスはナチス大虐殺から利益を得たのか』 (アダム ・ レボー著、鈴木孝男訳、KKべストセラーズ) の中でそう述べている。

この発言は、ナチス ・ ドイツと取引を続けたBISに、理事と行員を送り込んだニッポン政府もスイス国立銀行やライヒスバンクとの間で金塊の換金、戦費移動などの取引を続けていたことを裏付けるものだ。


 繰り返すが、ニッポンは明治政府以来の (松方正義、レオン ・ セイによる日銀創設以来の) 世界金融ネットワーク ・ メンバー国だ。

そのニッポン政府が1930年のBIS開設時から同行に理事と担当者を送り込むのは当然の責務だった。

BIS開設以来、日銀と横浜正金銀行ほかの銀行からスイスに派遣されたニッポンのバンカーたちは、祖国ニッポンの広島、長崎に原爆が投下され、天皇の玉音放送が流れ、皇居前に集まった国民が放心して玉砂利に頭を垂れ、涙にくれたとされる戦争終結の日を過ぎても、なお黙々とバーゼルのBISで銀行業務を続けていたものだ。

ニッポンは戦争に加担してそこで入手する金塊で、戦費を賄っていたから当然の業務だ。

もっといえば、世界戦争は連合国も枢軸国も一緒に、つまり ”談合” して稼ぎに走った ”ゲーム” だったのだ。


<見出し>

● BISは強奪金塊を使い回して 「本物の戦争」 を推進する ”胴元”



<本文>

 日銀代理のニッポンの民間銀行団も投資した戦争専用バンクBISの設立資本金は5億スイスフラン。

これは当時の世界で最も頼りにされた最強通貨を投じたものだ。

BISを保証した銀行はべルギー国立銀行、イングランド銀行、フランス銀行、イタリア銀行、ドイツ国立銀行ライヒスバンクの計5行。

さらにBISの外郭銀行として日銀の代理銀行 (横浜正金銀行ほか)、モルガン銀行、ファースト ・ ニューヨーク銀行、ファースト ・ シカゴ銀行などのアメリカ銀行団が多数並んだ。


錚々 《そうそう》 たる世界の ”護送船団” に守られたBISの表向きの設立趣旨は各理事国政府の受託機関としての役割を果たすこととされていた。

むろん本音は、第一次大戦で敗北したドイツ政府に賠償を履行させるための処理銀行 (実は賠償金で一稼ぎする機関) であり、次の第二次大戦のための戦争準備銀行だった。


 このように、BIS設立の本当の目的は、第二次大戦を創出して戦争利益を求めるためだった。

建て前はドイツ復興支援を謳いつつ (実際に支援をしたが)、だが、本当は次の第二次大戦の戦費創出が設立目的だった。

恰好の建て前を謳うBISは設立参加理事諸国から前投資金として ”種金 《たねがね》” を出資させた。

つまり、仕込み資金だ。

その仕込み資金でヒトラー、ムッソリーニ、それにニッポンなどの枢軸国軍のために 「本物の戦争」 (つまり金塊強奪のための戦い) を支援した。

交戦国に対するいわば戦争助成金というわけだ。


 強奪金塊をBISに回遊して換金した資金を担保に派生する利益は、すべての交戦国の戦費と、ドイツの賠償金、それにBISの投資株主が前払いした ”種金” の償還利息として分配した。

BISは強奪金塊を使い回して 「本物の戦争」 を推進させる ”胴元” であり、金塊が、戦争の血液であることを証明した。


 ドイツ、イタリアそしてニッポンの各政府は、戦争継続中は、強奪金塊が生み出す利益にずっとありついた。

第二次世界大戦の開戦準備と戦争維持のための戦費を三国に投じ続けて、戦争を継続させたBISにとって、ムッソリーニのイタリア、ヒトラーのドイツ、そして天皇ヒロヒトのニッポンはこの上なく頼もしい稼ぎ頭だった。

なぜなら、日独伊3国は金塊強奪の ”名人たち” だったからだ。

こうした戦争金融の業務を執行するBISは、1945年にひとまず戦火がやむまでは ”眠らない銀行” であり続けた。


 ニッポン海軍が真珠湾攻撃中の瞬間であれ、満州で馬賊に大砲を撃ち込んでいる最中であれ、あるいは太平洋の硫黄島で日米両軍の兵士が激戦を繰り返している深夜であれ、ニッポン政府 (横浜正金銀行) は、BIS経由でドイツ、スイス、マカオほかの銀行との間で、送金や金塊の洗浄による外貨購入、それに蓄財まで、つまり金融マネージメントを粛々と繰り返して ”血液循環” を維持した。

こうした戦時下での資金取引事情はニッポン、ドイツ、イタリアに限らず交戦国の英米連合軍諸国も同じだった。

(中略)

 ナチス ・ ドイツのヒトラー 『わが闘争』 の個人著作印税や、イタリアのムッソリーニ総統の個人資金も、砲弾と爆弾が飛び交う最中でも、BISのドイツ支店やライヒスバンクのそれぞれの口座に国境を越えて振り込まれていたことは先に書いた。

同様にドイツ、イタリアの両国と同盟関係のニッポン政府の金塊も、必要な外貨戦費も、そして天皇の預金も、全てBIS、ライヒスバンクならびにスイス国立銀行の間の銀行パイプを往来した。


 昭和天皇名義でスイス銀行に預けた10億ドル相当の金塊を、スイス銀行からマカオの銀行の天皇名義の口座に移したり、ドイツ銀行の天皇口座に預けた預金2000万米ドルを日本の横浜正金銀行に送金する業務は戦時も平時も変わらなかった。


 ニッポンは手持ちの金塊をマカオの銀行で洗浄させ、中国の現地通貨、あるいはドル紙幣に交換して小切手、手形 (軍票) それらを担保に現金化したり債券を振り出して軍需物資のキャッシュ決済を繰り返した。

銀行は電信網を活用して資金の移動業務に即座に対応するから多忙をきわめた。

戦争資金がスムーズに循環して、戦争が続行されている間はその分取り扱い手数料が銀行に転がり込むからだ。

(中略)


<見出し>

● 国際金融勢力は戦後の収支を安定させる範囲内でニッポンの戦争を打ち止めに


<本文>

 原爆投下がキッカケでニッポンは戦争を終結させたとする説があるが、その珍説は相変わらず武力戦争のみを戦争だと信じる人々の妄想だ。

戦争集結のタイミングは、エネルギーの枯渇や戦闘能力の限界やそれに原爆投下に対する恐怖心などから決定される要因ではあるが、それが決定打ではない。

(注) 「集結」 は、原文の通りです。


たとえば広島 ・ 長崎への投下タイミングは、戦費の収支勘定を見据えて調整された投下なのだ。

つまり戦争事業の決算期の到来を告げるいわば打ち上げ花火 《シグナル》 だった。


 BISの戦費バランスシートはニューヨークのウォール街とロンドンのシティのいわば戦争会計士たちが常時監査していた。

損益分岐点を予測した結果として、つまり、ドイツ、イタリア、ニッポンが利益を残せる範囲を予測、その予測範囲内で戦争事業の決算時期のタイミングを図り、たとえば原爆を投下したり、ポツダム宣言書を発行して、終戦を督促 《とくそく》 したものだ。


 なぜなら、戦争終結のタイミングが遅れて戦費の収支バランスが崩れることが予測されれば、戦後世界の金融経済の安定にはならないからだ。

国際収支の悪化を招くことで、国際金融界の戦争ビジネスの収支バランスそのものを崩してはならないのだ。

国際金融勢力は戦後の収支を安定させる範囲内でニッポンの戦争を打ち止めにした。

原爆の威力や戦力の不足でニッポンが自主的に戦争終結を決めたとする情熱的な史家たちの見解は、例の 「見せかけの戦争」 のみ信じる戦史マニアたちのお伽噺にすぎない。
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(E-4: 引用。以上)


この 「E-4: 引用」 を見ると、戦争は、「世界を牛耳っている者たち (世界の支配者たち)」 が、お金を儲けるための、単なる 「仕事」、単なる 「営業活動」 に過ぎないと、良く分かります。

実際には、引用文の通り、「ゲーム感覚でしかない」 のかもしれません。

いずれにせよ、戦争で、大勢の人々が 「死のうが、くたばろうが」 そんなことは、彼らにとって 「どうでもいいこと」 なのは、明らかです。

「自分たちが、儲かるか、損をするか」 それだけが、大事なのです。

視点を変えれば、戦争という手段を用いて、人々を 「より一層支配し、より一層苦しめる」 のが目的とも言えます。

したがって、日本国民に限らず、世界中で、人々が 「戦争反対」 をいくら叫んでも、彼らにとっては 「痛くも、かゆくも」 ありません。

まったく、眼中にないのは、目に見えています。

換言すれば、人々が 「戦争反対」 をいくら叫んでも、それでは、何の解決にもなりません。

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「日本政府が、何を強奪し」、それをどうしたのか、「E: 図書 (高橋著書)」 を引用します。

(E-5: 引用)209 ~ 210ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 「ふりがな」 は、原文の通りです。
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 実益を求めて 「本物の戦争」 に突き進んだ5人組が軍人とヤクザ者たちを走らせ、海外で強奪行為で入手した物品類は多岐にわたった。

金塊、ダイヤ、プラチナ、ルビー、サファイア、金銀硬貨、株券、債券類など巷間 《こうかん》 で誰でも即換金できるものからコバルト、ニッケル、ボーキサイト、タングステンなど戦時産業界に不可欠の鉱物資源材などだ。


 さらには他民族が歴史と誇りにかけて祖先から継承してきた国宝級の重要文物財まで確保した。

たとえば朝鮮王家、清国皇帝などの由緒ある宝物、絨毯 《じゅうたん》、名画、稀覯 《きこう》 本、仏像、仏教古書、写経、掛け軸、彫刻美術品、寺院の装飾品など、民族文明の拠 《よ》 り所ともいえる精神文化財の数々がそれらだ。

略奪財宝の中から厳選して蓄 《たくわ》 えられた高級巨額な財宝が、「金の百合」 と呼ばれる膨大な量の金塊だった。


 金塊と鉱物資源を除く重要文化財は、皇居内、東京科学博物館、東アジア研究所、東洋文化研究所、大東亜文庫、靖国神社そして東京帝国大学、東京芸術大学、福沢諭吉の慶応や大隈重信の早稲田ほか私立大学などに秘蔵した。

時には虫干しと称して陳列されたりもした。


 世界的な逸品としては青磁、白磁の陶器コレクション (サムライ軍団の1人、住友吉左衛門所蔵) がある。

満州事変以来のどさくさで強奪した、それらの価値は世界有数の絶品を集めたアーヴィ ・ ブランデージ ・ コレクションにも匹敵するとアメリカ人作家たちはいう。

GHQの調査によれば、中国大陸からニッポン政府が略奪した古文書などの図書類だけでも300万冊にのぼった。


 金 《キン》 とは無関係のはずのこうした他民族の重要文化財を 「戦後のニッポン政府は半世紀を経た今も隠したまま持ち主たちに返還していない。とりあえず朝鮮、中国から奪った千数百点の文化財のみを最近ようやく韓国政府に返還した」。

以上、強奪物品の詳細と顛末は、ニッポン政府の5人組の悪行ぶりを糾弾するアメリカ人ジャーナリストたちの調査情報を参考にしたものだ。
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(E-5: 引用。以上)


この 「E-5: 引用」 に加えて、「E-3: 引用」 の一部を、再掲します。

(E-3: 引用の一部再掲) 217ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
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 戦時中、ニッポン政府は報道機関も動員して国民から金歯や金縁メガネ、それに親が残した形見の宝石細工類までくまなく供出させた。

だが、個人から集めた金地金も金製宝飾類もその行方は戦後になっても不明のまま。

政府は拠出した国民に一部返還したと財務省は強弁しているが、大半はうやむやのままだ。

戦時政府が金塊を鋳造して流通、または溜め込んで戦費に使ったのは明らかだが、そうやって処理した全数量までは分からない。
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(E-3: 引用の一部再掲。以上)


これら、「E-5: 引用」 および、「E-3: 引用の一部再掲」 を見ると、日本政府は、現在でも 「強奪しまくり」 なのは、明らかです。

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以上の通り、「F-1: 引用」 ~ 「E-5: 引用」 までを見ると、日本国民にとって、「真珠湾奇襲攻撃」 から 「8月15日の敗戦」 まで、すべては 「日本政府および日本軍」 による猿芝居と言えます。

それも、ただの猿芝居ではありません。

「日本国民」 は、とんでもない苦難を味わい、一方、「日本政府 / 日本軍」 は、大儲けをする、非常に不公平とも言える、猿芝居です。

しかも、「その一方的な不公平さ」 は、敗戦で終ったのではなく、姿形を変えて、令和2年 (2020年) の現在も、連綿と続いています。

そのため、戦後、極端な軍国主義が消滅し、立派な自由で民主的な国に生まれ変わったはずなのに、今でも、非常に住み心地の悪い状態が、続いているのです。

例えば、今回の 「新型コロナウイルス騒ぎ」 でも、日本政府は 「下手くそな政策」 を次々と行っています。

「アベノマスク」 が、その典型例です(笑)。

ただし、日本政府の 「下手くそな諸政策」 は、政府のレベルが低いからではありません。

意識的に、計算づくで、「下手くそな政策」 を、わざと行っているのです。

日本国民を 「踏みにじる」 ためです。

「各引用」 の通り、戦争中に 「日本国民を、さんざん踏みにじった」 のと、同じです。

大きく視点を変えれば、いまだに、(姿、形を変えた) 戦争が続いていると言えます。

日本政府が、米国に対してではなく、日本国民に対して、(姿、形を変えた) 戦争をしているのです。

したがって、「日本政府に対し、下手くそな政策を非難するだけ」 では、何の解決にもなりません。

日本政府は、世界の支配者の一員として、日本国民を支配しているのです。

逆に見れば、「世界を支配している者たち」 が、日本政府を使って、今でも 「日本国民を支配している」 のです。

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くどいようですが、引用の一部を再掲します。

(E-4: 引用の一部を再掲)223 / 225ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
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BIS開設以来、

日銀と横浜正金銀行ほかの銀行からスイスに派遣されたニッポンのバンカーたちは、

祖国ニッポンの広島、長崎に原爆が投下され、

天皇の玉音放送が流れ、

皇居前に集まった国民が放心して玉砂利に頭を垂れ、涙にくれたとされる戦争終結の日を過ぎても、

なお黙々とバーゼルのBISで銀行業務を続けていたものだ。

(中略)

 ニッポン海軍が真珠湾攻撃中の瞬間であれ、

満州で馬賊に大砲を撃ち込んでいる最中であれ、

あるいは太平洋の硫黄島で日米両軍の兵士が激戦を繰り返している深夜であれ、

ニッポン政府 (横浜正金銀行) は、

BIS経由でドイツ、スイス、マカオほかの銀行との間で、

送金や金塊の洗浄による外貨購入、それに蓄財まで、

つまり金融マネージメントを粛々と繰り返して ”血液循環” を維持した。

こうした戦時下での資金取引事情はニッポン、ドイツ、イタリアに限らず交戦国の英米連合軍諸国も同じだった。
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(E-4: 引用の一部を再掲。以上)


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前述の、「E: 図書の主張する 『天皇の金塊』」 が、強奪したものか、どうかについて。

◎ 強奪したものが大半

◎ 預かったものも、少しはある

素人に過ぎない私としては、このように考えています。

(ただし、「預かったものも、少しはある」 といっても、全体の量が、あまりにも巨大であるため、絶対量からすれば 「決して少なくない」 のかもしれませんが)。

なお、「F: 図書 (中矢著書)」 以外でも、「強奪ではなく、相手国から頼まれて、預かった」 と言明している説もあります。

しかし、それは、おそらく、「預かったものも、少しはある」 のを見て、それがすべてだと、思い込んでいるのではないかと思います。

あるいは、それに見せかけて、「強奪ではない」 と、意識的に力説しているのかもしれません。

どちらなのかは、分かりません。

これも、素人に過ぎない私の考えです。

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補足の対象である、「元の記事」 に関して。

(D: 第2回目の元記事)
『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(2・最終回)』
2020年07月25日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/18/9269442

(G: 第1回目の元記事)
『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(1)』
2020年07月18日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/18/9269442


両記事で、以下の通り述べました。

> (16-C) 説明

> 「第1回目記事」 の、「14-A ~ C」 の通り、負けるために、わざと行ったのです。


> (6-C) 説明

> 米軍に対する、巧妙な利敵行為です。


> (14-C) 説明

> 日本が、「米国に負けてあげるため」 に、意識的に始めた戦争です。


これらは、素人に過ぎない、私の 「勝手な発言」 です。

「E: 図書」 「F: 図書」 に限らず、「日本が、米国に負けてあげるために、わざと下手な戦争のやり方をした」 との説は、記憶している限りでは、まったく見かけません。

しかし、この考え方は、間違ってはいないと、自分では思っています。

なお、この 「下手な戦争」 とは、「E: 図書」 で、高橋著者が言明している 「見せかけの戦争」 を指しているのは、言うまでもありません。

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今回が、「最終回」 です。

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http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/08/01/9274319


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http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/08/07/9276316


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『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(1)』
2020年07月18日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/18/9269442

『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(2・最終回)』
2020年07月25日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/25/9271711

【続編】 日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(続編1)2020年08月01日

[カテゴリ: 社会問題>支配]

このたび、2回の連続で、「以下の記事」 を掲げました。

(A: 連載の記事)
『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(1)(2・最終回)』
2020年07月18日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/18/9269442

2020年07月25日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/25/9271711


これらの記事で、2件ほど、補足することにしました。

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(B: 第1回目の記事)
『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(1)』
2020年07月18日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/18/9269442

「14-A ~ C」 で、「真珠湾 ・ 奇襲攻撃」 は、「奇襲ではない」 と述べました。

>日本が、「米国に負けてあげるため」 に、意識的に始めた戦争です。

とも述べました。

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以下の 「図書」 を見ると、それが、はっきりと浮かび上がってきます。
(明確な証拠ではありません)。
(逆の意味での、状況証拠と言えます)。

(C: 図書)
奥菜秀次 ・ 著 『陰謀論の罠 「9.11テロ自作自演」 説はこうして捏造された』 (光文社)


同書の著者は、「9.11テロ事件の陰謀説に対する、否定論者」 です。

同書のずっと後に、「真珠湾 ・ 奇襲攻撃」 についても触れています。

その一部を引用します。

(C-1: 引用) 208 ~ 215ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
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Column

真珠湾の証言:

前田武氏インタビュー

 本論からはややそれるが、ここに、筆者が前田武氏をインタビューした内容を、要約して掲載する。

(中略)

では、まず前田武氏の経歴を簡単にまとめて紹介する。

 前田氏は1921年生まれ。

1941年9月に、空母 「加賀」 搭乗員となり、12月の真珠湾攻撃に参加した。

(中略)

■ なぜ第3次攻撃は中止に?

 通常、歴史家の間では、真珠湾攻撃の第1波 (第1陣) 攻撃と、その後に発進した第2波 (第2陣) 攻撃を総称して ”第1次攻撃” と呼んでいる。

しかし、前田氏ら実働部隊員の間では第1波攻撃を ”第1次攻撃”、第2波攻撃を ”第2次攻撃” と呼んでおり、われわれの言う ”第2次攻撃” を ”第3次攻撃” と呼んでいた。

 ここでは前田氏の発言通り、 ”第3次攻撃” と呼ぶことにする。

奥菜: 歴史をふり返ると、なぜ、第3次攻撃をしなかったのかということが、大きな疑問とされていますが?

前田: 第3次攻撃中止の知らせを聞いたときは、「こんなバカな話があるか」 と思いました。

(中略)

 あのとき、真珠湾の石油タンクとドッグを破壊していれば、歴史は変わりました。

攻撃後、アメリカ側が真珠湾に備蓄してあった石油の総量を450万バレルと発表したのを聞き、日本側の予想より多かったのには驚かされました。

攻撃には15から16機、25機もあれば十分でした。

真珠湾の石油タンクは密接してつくってあり、容易に攻撃できました。

ドッグを250キロ爆弾で攻撃していたら、ハワイ基地自体が半年間は使用できなくなっていたでしょう。

そうすれば、アメリカの防衛ラインは大幅に後退し、ミッドウェーの敗北どころか、海戦自体がなかったでしょう。

(真珠湾) 攻撃で大破した艦船をドッグで修理できないし、艦船や飛行機を動かす燃料もないのですから。

 戦後私は、アメリカ側の人たちから ”どうして日本は第3次攻撃をしなかったのか?” と幾度も質問されました。

彼らも再攻撃はあるものと思っていたのです。

(中略)

前田: (中略) 参議院選挙に出ていた源田実さんに会い、第3次攻撃なしの決定の理由の説明を求めたとき、彼はひたすら沈黙するだけでした。

源田さんが優れた航空参謀だというのは創作ですよ。
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(C-1: 引用。以上)


(注) この 「C: 図書 (光文社ペーパーバックス) 」 は、非常に 「くせのある作り」 をしています。

その一つが、文中で 「著者が、重要と思える単語や、言い回し」 には、必ず、そのすぐ後に 「英語」 を併記しています。

例えば、
◎ …… 要約 summarize して掲載する。
◎ …… 貴重な証言 valuable evidence なのでお許し願いたい。
◎ …… 真珠湾攻撃 attack on Pearl Harbor に参加した。
などです。

これは、「光文社ペーパーバックス」 全体に共通した方式と、同書が明示しています。

上記 「C-1: 引用文中」 にも、この併記表現があり、非常に読みづらいので、やむなく 「英語の部分」 は、省略しました。

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この 「C-1: 引用」 を見れば、「真珠湾 ・ 奇襲攻撃」 は、「米国に負けてあげるため」 に行ったと、明らかに分かります。


「C-1: 引用」 の一部を、再引用します。

(C-2: 引用)
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 あのとき、真珠湾の石油タンクとドッグを破壊していれば、歴史は変わりました。

(中略)

真珠湾の石油タンクは密接してつくってあり、容易に攻撃できました。

ドッグを250キロ爆弾で攻撃していたら、ハワイ基地自体が半年間は使用できなくなっていたでしょう。

そうすれば、アメリカの防衛ラインは大幅に後退し、ミッドウェーの敗北どころか、海戦自体がなかったでしょう。

(真珠湾) 攻撃で大破した艦船をドッグで修理できないし、艦船や飛行機を動かす燃料もないのですから。
==================================
(C-2: 引用。以上)


この 「C-2: 引用」 を見れば、逆に、「第3次攻撃をしたら、どうなっていたか?」 はっきり分かります。

米国海軍が、西太平洋の領域で、日本海軍と 「半年間、戦争できなくなって」 しまいます。
(極論すれば)。

それでは、米海軍 / 米国が非常に困るので、日本海軍が 「みずから、第3次攻撃を取りやめた」 のです。

「C-1: 引用」 の一部を、再度、引用します。

(C-3: 引用)
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前田: (中略) 参議院選挙に出ていた源田実さんに会い、第3次攻撃なしの決定の理由の説明を求めたとき、彼はひたすら沈黙するだけでした。

源田さんが優れた航空参謀だというのは創作ですよ。
==================================
(C-3: 引用。以上)

「C-3: 引用」 を見ると、戦争当時、航空参謀の源田実氏も、「意図的に第3次攻撃を取りやめた理由」 を良く知っていると、分かります。

「良く知っている」 からこそ、沈黙し、「真相を、ひたすら隠す」 しか、方法がないわけです。

同氏を含め、海軍の上層部は、「初めから、密かに、第3次攻撃を行わない計画だった」 のは明らかです。

>源田さんが優れた航空参謀だというのは創作ですよ。

前田氏の受け止め方は、まったく逆です。

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当時の日本軍に限らず、「軍事攻撃」 には、大別して、少なくとも2種類あります。

(A) 戦術攻撃
(B) 戦略攻撃

上記、「C-1: 引用」 で見れば、前田氏の言う 「第1次攻撃、第2次攻撃」 が、(A) の 「戦術攻撃」 です。

そして、「第3次攻撃」 が、(B) の 「戦略攻撃」 に相当します。

米軍の、あまりにも有名な 「ボーイングB-29爆撃機」 が、日本全土の都市を爆撃 (空襲) したのも、「戦略攻撃 (戦略爆撃)」 です。

同じ軍事攻撃でも、「戦術攻撃と戦略攻撃」 では、意味が大きく異なります。

「(A) 戦術攻撃」 は、敵の軍用機、戦車、軍艦、前線基地など、「相手の軍事力を直接叩く」 ための攻撃です。

一方、「(B) 戦略攻撃」 は、敵国の首都や都市、工業地帯、鉄道網や港湾施設など、「軍事力そのものではなく、相手の国力を叩く」 ための攻撃です。
(結果的に (場合によっては、意図的に) 、非戦闘員 (一般市民) も、(多数が) 巻き込まれることになります)。
(必要ならば、司令部など、軍事力の主要部も攻撃対象になります)。

当然ながら、「(A) 戦術攻撃 / (B) 戦略攻撃」 は、二者択一ではなく、必要に応じて、それぞれ自由に選択し、自由に行います。

したがって、同一日に、別々の目標に対して、それぞれ、戦術攻撃と、戦略攻撃を、別々に行っても不思議ではありません。

日本軍の真珠湾攻撃が、その典型例と言えます。

日本軍や日本の国力からすれば、日本からはるか遠い場所にある、真珠湾を何回も攻撃する能力はありません。

一度で、決着をつけるしかありません。

そのため、軍事的に見れば、「第1次攻撃、第2次攻撃」 に引き続き、「第3次攻撃」 も行って当然と言えます。

「C-1: 引用」 の一部を、さらに引用します。

(C-4: 引用)
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 戦後私は、アメリカ側の人たちから ”どうして日本は第3次攻撃をしなかったのか?” と幾度も質問されました。

彼らも再攻撃はあるものと思っていたのです。
==================================
(C-4: 引用。以上)

まさに、「C-4: 引用」 の通りです。

この 「C-4: 引用」 で、「アメリカ側の人たち」 とは、この文面からすると、「真珠湾で、奇襲攻撃を受けて、日本軍と直接戦った軍人たち」 そのものと思えてなりません。

日本軍の 「真珠湾 ・ 奇襲攻撃」 は、強大な米国に対して、劣勢な日本が、「本気で戦いを挑んだように見せかけ、その実、米国に負けて差し上げるため」 に行った、完全な猿芝居 《さるしばい》 です。

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冒頭の、「C: 図書」 とは別に、「第3次攻撃」 を行わなかった理由を見ると、さらに明らかです。

真珠湾内に、停泊しているはずの 「米空母 (複数)」 が、まったく存在していませんでした。

そのため、日本の攻撃部隊は、「米空母 (複数)」 の現在位置を、まったく把握できませんでした。

これでは、いつ、どこから、「米空母の攻撃を受けるか分からない」 ので、危険を回避するため、「第3次攻撃」 を中止して、日本の攻撃部隊 (空母を中心とする艦隊) は、ハワイから撤退した、と言われています。

一見もっともらしいですが、これも、見え透いた猿芝居です。

「米空母の位置が分からないので、いつ、どこから、攻撃を受けるか分からない」 ならば、全艦が、それぞれ、360度全方位を、もちろん上空も含め、24時間、監視し続ければ、それですむことです。

同時に、複数の艦上偵察機を、全方位にわたって発進させ、米空母を索敵 《さくてき》 し続けるのも、言うまでもありません。

どこの国の軍隊も、「敵と戦う」 のが仕事です。

日本海軍に限らず、「敵空母の現在位置が分からず、いつ、どこから、攻撃を受けるか分からない」 ので、自分たちにとって必要な攻撃を取りやめ、「逃げ出して」 いたら、軍隊として成り立ちません。

それは、日本軍も 「百も承知」 です。

したがって、この時の司令官たちは 「腰抜けだ」 という、当時から現代まで続く批判は、まったく外れています。

「米国に負けるために、意図的に、事前の台本どおり、逃げ出して差し上げた」 のです。

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「宣戦布告が遅れた」 のも、日本側が、意識的に行った 「猿芝居」 です。

「奇襲攻撃」 なので、あまり早くから 「宣戦布告を行う」 わけに行きません。

かといって、「奇襲攻撃」 が始まってから行ったのでは、「汚い、ひきょうな不意打ち攻撃」 になってしまいます。

したがって、「奇襲攻撃」 の直前に、間違いなく、確実に 「宣戦布告を行う」 必要があります。
(理想的には、30分前ぐらいが、一番良いのではないかと思いますが)。

日本政府や、日本軍に、それが分からないはずがありません。

例えば、「鉄道のダイヤが、世界一正確だ」 というのが、日本人の国民性です。

日本政府や、日本軍も、同じ日本人です。

「奇襲攻撃」 の直前に、間違いなく、確実に 「宣戦布告を行う」 必要がある以上、「何が何でも、間違いなくこれを達成しなければいけない」 と、関係者全員が、この 「極度に厳しい時間制限」 を、徹底的に厳守しようとするのは、目に見えています。

このような観点からすれば、「日本政府や、日本軍にとって、宣戦布告が遅れるのは、本来ならば、絶対にあり得ない」 と言えます。

宣戦布告文が 「非常に長文だった」 のも、意識的に行ったのは、明らかです。

「何の理由があって、米国と戦争するのか」、それを、「宣戦布告文で、長々と説明する必要性」 は、まったくありません。

「宣戦布告文」 は、相手と戦争する意思を、その相手に対して 「開戦前に明確に伝える」 のが目的です。

まさに、「汚い、ひきょうな不意打ち」 になるのを、防ぐためです。

基本的には、「何年、何月、何日、貴国と戦争を開始する」、これさえ伝えれば、それで十分なはずです。

あくまでも単純に言えば、「B5判の用紙が1枚あれば、間に合う文章量」 です。
(かつて、日本では、A4判ではなく、B5判の用紙を使うのが、当たり前でした(笑))。

「宣戦布告文が極端に長い」 のも、それを理由の一つとして、「宣戦布告が遅れるように、意図的に仕向けた」 のは明らかです。

「宣戦布告が遅れるように、意図的に仕向けた」 のは、米国民を 「怒らせる」 のが目的です。

当時、米国では、第1次世界大戦に疲弊 《ひへい》 し、「他国の戦争に、自分たちは、もう加担したくない」 との強い思いがありました。

そのため、米国政府としては、日本と戦争するために、「米国民を意識的に怒らせる必要」 がありました。

「不意打ち攻撃を平然と行う、汚い、ひきょうなジャップをやっつけろ」 と、米国民を、一斉に怒らせるわけです。

(ご存じの通り、「ジャップ」 とは、日本人および日系人に対する、英語の蔑称 《べっしょう》 です)。

「911テロ事件」 の時と、姿形は異なっていても、パターンは同じです。

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蛇足ながら、もし仮に、日本が、米国に対して、どうしても 「開戦の理由を、詳しく伝えたい」 ならば、後日、速やかに 「開戦の詳細な理由書」 を作成し、米国に手渡せば、それで目的は達成できます。

「宣戦布告文」 の中に、「その詳細な理由」 を、極端な長文にしてまで、無理やり、盛り込む必要性、必然性は、まったくありません。

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「奇襲攻撃ではない、やらせ芝居」 の理由は、他にもありますが、切りがないので、ここまでとします。

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長文のため、「第2回目」 に続きます。

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『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(1)』
2020年07月18日
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『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(2・最終回)』
2020年07月25日
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