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【続編】 日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(続編1)2020年08月01日

[カテゴリ: 社会問題>支配]

このたび、2回の連続で、「以下の記事」 を掲げました。

(A: 連載の記事)
『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(1)(2・最終回)』
2020年07月18日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/18/9269442

2020年07月25日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/25/9271711


これらの記事で、2件ほど、補足することにしました。

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(B: 第1回目の記事)
『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(1)』
2020年07月18日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/18/9269442

「14-A ~ C」 で、「真珠湾 ・ 奇襲攻撃」 は、「奇襲ではない」 と述べました。

>日本が、「米国に負けてあげるため」 に、意識的に始めた戦争です。

とも述べました。

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以下の 「図書」 を見ると、それが、はっきりと浮かび上がってきます。
(明確な証拠ではありません)。
(逆の意味での、状況証拠と言えます)。

(C: 図書)
奥菜秀次 ・ 著 『陰謀論の罠 「9.11テロ自作自演」 説はこうして捏造された』 (光文社)


同書の著者は、「9.11テロ事件の陰謀説に対する、否定論者」 です。

同書のずっと後に、「真珠湾 ・ 奇襲攻撃」 についても触れています。

その一部を引用します。

(C-1: 引用) 208 ~ 215ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
==================================
Column

真珠湾の証言:

前田武氏インタビュー

 本論からはややそれるが、ここに、筆者が前田武氏をインタビューした内容を、要約して掲載する。

(中略)

では、まず前田武氏の経歴を簡単にまとめて紹介する。

 前田氏は1921年生まれ。

1941年9月に、空母 「加賀」 搭乗員となり、12月の真珠湾攻撃に参加した。

(中略)

■ なぜ第3次攻撃は中止に?

 通常、歴史家の間では、真珠湾攻撃の第1波 (第1陣) 攻撃と、その後に発進した第2波 (第2陣) 攻撃を総称して ”第1次攻撃” と呼んでいる。

しかし、前田氏ら実働部隊員の間では第1波攻撃を ”第1次攻撃”、第2波攻撃を ”第2次攻撃” と呼んでおり、われわれの言う ”第2次攻撃” を ”第3次攻撃” と呼んでいた。

 ここでは前田氏の発言通り、 ”第3次攻撃” と呼ぶことにする。

奥菜: 歴史をふり返ると、なぜ、第3次攻撃をしなかったのかということが、大きな疑問とされていますが?

前田: 第3次攻撃中止の知らせを聞いたときは、「こんなバカな話があるか」 と思いました。

(中略)

 あのとき、真珠湾の石油タンクとドッグを破壊していれば、歴史は変わりました。

攻撃後、アメリカ側が真珠湾に備蓄してあった石油の総量を450万バレルと発表したのを聞き、日本側の予想より多かったのには驚かされました。

攻撃には15から16機、25機もあれば十分でした。

真珠湾の石油タンクは密接してつくってあり、容易に攻撃できました。

ドッグを250キロ爆弾で攻撃していたら、ハワイ基地自体が半年間は使用できなくなっていたでしょう。

そうすれば、アメリカの防衛ラインは大幅に後退し、ミッドウェーの敗北どころか、海戦自体がなかったでしょう。

(真珠湾) 攻撃で大破した艦船をドッグで修理できないし、艦船や飛行機を動かす燃料もないのですから。

 戦後私は、アメリカ側の人たちから ”どうして日本は第3次攻撃をしなかったのか?” と幾度も質問されました。

彼らも再攻撃はあるものと思っていたのです。

(中略)

前田: (中略) 参議院選挙に出ていた源田実さんに会い、第3次攻撃なしの決定の理由の説明を求めたとき、彼はひたすら沈黙するだけでした。

源田さんが優れた航空参謀だというのは創作ですよ。
==================================
(C-1: 引用。以上)


(注) この 「C: 図書 (光文社ペーパーバックス) 」 は、非常に 「くせのある作り」 をしています。

その一つが、文中で 「著者が、重要と思える単語や、言い回し」 には、必ず、そのすぐ後に 「英語」 を併記しています。

例えば、
◎ …… 要約 summarize して掲載する。
◎ …… 貴重な証言 valuable evidence なのでお許し願いたい。
◎ …… 真珠湾攻撃 attack on Pearl Harbor に参加した。
などです。

これは、「光文社ペーパーバックス」 全体に共通した方式と、同書が明示しています。

上記 「C-1: 引用文中」 にも、この併記表現があり、非常に読みづらいので、やむなく 「英語の部分」 は、省略しました。

----------

この 「C-1: 引用」 を見れば、「真珠湾 ・ 奇襲攻撃」 は、「米国に負けてあげるため」 に行ったと、明らかに分かります。


「C-1: 引用」 の一部を、再引用します。

(C-2: 引用)
==================================
 あのとき、真珠湾の石油タンクとドッグを破壊していれば、歴史は変わりました。

(中略)

真珠湾の石油タンクは密接してつくってあり、容易に攻撃できました。

ドッグを250キロ爆弾で攻撃していたら、ハワイ基地自体が半年間は使用できなくなっていたでしょう。

そうすれば、アメリカの防衛ラインは大幅に後退し、ミッドウェーの敗北どころか、海戦自体がなかったでしょう。

(真珠湾) 攻撃で大破した艦船をドッグで修理できないし、艦船や飛行機を動かす燃料もないのですから。
==================================
(C-2: 引用。以上)


この 「C-2: 引用」 を見れば、逆に、「第3次攻撃をしたら、どうなっていたか?」 はっきり分かります。

米国海軍が、西太平洋の領域で、日本海軍と 「半年間、戦争できなくなって」 しまいます。
(極論すれば)。

それでは、米海軍 / 米国が非常に困るので、日本海軍が 「みずから、第3次攻撃を取りやめた」 のです。

「C-1: 引用」 の一部を、再度、引用します。

(C-3: 引用)
==================================
前田: (中略) 参議院選挙に出ていた源田実さんに会い、第3次攻撃なしの決定の理由の説明を求めたとき、彼はひたすら沈黙するだけでした。

源田さんが優れた航空参謀だというのは創作ですよ。
==================================
(C-3: 引用。以上)

「C-3: 引用」 を見ると、戦争当時、航空参謀の源田実氏も、「意図的に第3次攻撃を取りやめた理由」 を良く知っていると、分かります。

「良く知っている」 からこそ、沈黙し、「真相を、ひたすら隠す」 しか、方法がないわけです。

同氏を含め、海軍の上層部は、「初めから、密かに、第3次攻撃を行わない計画だった」 のは明らかです。

>源田さんが優れた航空参謀だというのは創作ですよ。

前田氏の受け止め方は、まったく逆です。

----------

当時の日本軍に限らず、「軍事攻撃」 には、大別して、少なくとも2種類あります。

(A) 戦術攻撃
(B) 戦略攻撃

上記、「C-1: 引用」 で見れば、前田氏の言う 「第1次攻撃、第2次攻撃」 が、(A) の 「戦術攻撃」 です。

そして、「第3次攻撃」 が、(B) の 「戦略攻撃」 に相当します。

米軍の、あまりにも有名な 「ボーイングB-29爆撃機」 が、日本全土の都市を爆撃 (空襲) したのも、「戦略攻撃 (戦略爆撃)」 です。

同じ軍事攻撃でも、「戦術攻撃と戦略攻撃」 では、意味が大きく異なります。

「(A) 戦術攻撃」 は、敵の軍用機、戦車、軍艦、前線基地など、「相手の軍事力を直接叩く」 ための攻撃です。

一方、「(B) 戦略攻撃」 は、敵国の首都や都市、工業地帯、鉄道網や港湾施設など、「軍事力そのものではなく、相手の国力を叩く」 ための攻撃です。
(結果的に (場合によっては、意図的に) 、非戦闘員 (一般市民) も、(多数が) 巻き込まれることになります)。
(必要ならば、司令部など、軍事力の主要部も攻撃対象になります)。

当然ながら、「(A) 戦術攻撃 / (B) 戦略攻撃」 は、二者択一ではなく、必要に応じて、それぞれ自由に選択し、自由に行います。

したがって、同一日に、別々の目標に対して、それぞれ、戦術攻撃と、戦略攻撃を、別々に行っても不思議ではありません。

日本軍の真珠湾攻撃が、その典型例と言えます。

日本軍や日本の国力からすれば、日本からはるか遠い場所にある、真珠湾を何回も攻撃する能力はありません。

一度で、決着をつけるしかありません。

そのため、軍事的に見れば、「第1次攻撃、第2次攻撃」 に引き続き、「第3次攻撃」 も行って当然と言えます。

「C-1: 引用」 の一部を、さらに引用します。

(C-4: 引用)
==================================
 戦後私は、アメリカ側の人たちから ”どうして日本は第3次攻撃をしなかったのか?” と幾度も質問されました。

彼らも再攻撃はあるものと思っていたのです。
==================================
(C-4: 引用。以上)

まさに、「C-4: 引用」 の通りです。

この 「C-4: 引用」 で、「アメリカ側の人たち」 とは、この文面からすると、「真珠湾で、奇襲攻撃を受けて、日本軍と直接戦った軍人たち」 そのものと思えてなりません。

日本軍の 「真珠湾 ・ 奇襲攻撃」 は、強大な米国に対して、劣勢な日本が、「本気で戦いを挑んだように見せかけ、その実、米国に負けて差し上げるため」 に行った、完全な猿芝居 《さるしばい》 です。

----------

冒頭の、「C: 図書」 とは別に、「第3次攻撃」 を行わなかった理由を見ると、さらに明らかです。

真珠湾内に、停泊しているはずの 「米空母 (複数)」 が、まったく存在していませんでした。

そのため、日本の攻撃部隊は、「米空母 (複数)」 の現在位置を、まったく把握できませんでした。

これでは、いつ、どこから、「米空母の攻撃を受けるか分からない」 ので、危険を回避するため、「第3次攻撃」 を中止して、日本の攻撃部隊 (空母を中心とする艦隊) は、ハワイから撤退した、と言われています。

一見もっともらしいですが、これも、見え透いた猿芝居です。

「米空母の位置が分からないので、いつ、どこから、攻撃を受けるか分からない」 ならば、全艦が、それぞれ、360度全方位を、もちろん上空も含め、24時間、監視し続ければ、それですむことです。

同時に、複数の艦上偵察機を、全方位にわたって発進させ、米空母を索敵 《さくてき》 し続けるのも、言うまでもありません。

どこの国の軍隊も、「敵と戦う」 のが仕事です。

日本海軍に限らず、「敵空母の現在位置が分からず、いつ、どこから、攻撃を受けるか分からない」 ので、自分たちにとって必要な攻撃を取りやめ、「逃げ出して」 いたら、軍隊として成り立ちません。

それは、日本軍も 「百も承知」 です。

したがって、この時の司令官たちは 「腰抜けだ」 という、当時から現代まで続く批判は、まったく外れています。

「米国に負けるために、意図的に、事前の台本どおり、逃げ出して差し上げた」 のです。

----------

「宣戦布告が遅れた」 のも、日本側が、意識的に行った 「猿芝居」 です。

「奇襲攻撃」 なので、あまり早くから 「宣戦布告を行う」 わけに行きません。

かといって、「奇襲攻撃」 が始まってから行ったのでは、「汚い、ひきょうな不意打ち攻撃」 になってしまいます。

したがって、「奇襲攻撃」 の直前に、間違いなく、確実に 「宣戦布告を行う」 必要があります。
(理想的には、30分前ぐらいが、一番良いのではないかと思いますが)。

日本政府や、日本軍に、それが分からないはずがありません。

例えば、「鉄道のダイヤが、世界一正確だ」 というのが、日本人の国民性です。

日本政府や、日本軍も、同じ日本人です。

「奇襲攻撃」 の直前に、間違いなく、確実に 「宣戦布告を行う」 必要がある以上、「何が何でも、間違いなくこれを達成しなければいけない」 と、関係者全員が、この 「極度に厳しい時間制限」 を、徹底的に厳守しようとするのは、目に見えています。

このような観点からすれば、「日本政府や、日本軍にとって、宣戦布告が遅れるのは、本来ならば、絶対にあり得ない」 と言えます。

宣戦布告文が 「非常に長文だった」 のも、意識的に行ったのは、明らかです。

「何の理由があって、米国と戦争するのか」、それを、「宣戦布告文で、長々と説明する必要性」 は、まったくありません。

「宣戦布告文」 は、相手と戦争する意思を、その相手に対して 「開戦前に明確に伝える」 のが目的です。

まさに、「汚い、ひきょうな不意打ち」 になるのを、防ぐためです。

基本的には、「何年、何月、何日、貴国と戦争を開始する」、これさえ伝えれば、それで十分なはずです。

あくまでも単純に言えば、「B5判の用紙が1枚あれば、間に合う文章量」 です。
(かつて、日本では、A4判ではなく、B5判の用紙を使うのが、当たり前でした(笑))。

「宣戦布告文が極端に長い」 のも、それを理由の一つとして、「宣戦布告が遅れるように、意図的に仕向けた」 のは明らかです。

「宣戦布告が遅れるように、意図的に仕向けた」 のは、米国民を 「怒らせる」 のが目的です。

当時、米国では、第1次世界大戦に疲弊 《ひへい》 し、「他国の戦争に、自分たちは、もう加担したくない」 との強い思いがありました。

そのため、米国政府としては、日本と戦争するために、「米国民を意識的に怒らせる必要」 がありました。

「不意打ち攻撃を平然と行う、汚い、ひきょうなジャップをやっつけろ」 と、米国民を、一斉に怒らせるわけです。

(ご存じの通り、「ジャップ」 とは、日本人および日系人に対する、英語の蔑称 《べっしょう》 です)。

「911テロ事件」 の時と、姿形は異なっていても、パターンは同じです。

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蛇足ながら、もし仮に、日本が、米国に対して、どうしても 「開戦の理由を、詳しく伝えたい」 ならば、後日、速やかに 「開戦の詳細な理由書」 を作成し、米国に手渡せば、それで目的は達成できます。

「宣戦布告文」 の中に、「その詳細な理由」 を、極端な長文にしてまで、無理やり、盛り込む必要性、必然性は、まったくありません。

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「奇襲攻撃ではない、やらせ芝居」 の理由は、他にもありますが、切りがないので、ここまでとします。

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長文のため、「第2回目」 に続きます。

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                当記事(第1回目)の先頭に戻る >>
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/08/01/9274319


                          第2回目に進む >>
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/08/07/9276316


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『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(1)』
2020年07月18日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/18/9269442

『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(2・最終回)』
2020年07月25日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/25/9271711

【続編】 日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(続編2・最終回)2020年08月07日

[カテゴリ: 社会問題>支配]

「第1回目の記事」 から続きます。
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/08/01/9274319

今回が 「最終回」 です。

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補足の 「2件目」 です。

補足対象は、以下の 「D: 第2回目の記事」 です。

(D: 第2回目の記事)
『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(2・最終回)』
2020年07月25日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/18/9269442


この、「16-A ~ C」 で、「終戦 / 敗戦」 について述べました。

>「第1回目記事」 の、「14-A ~ C」 の通り、負けるために、わざと行ったのです。

>(世界を支配している者たちが、このような日本政府を、裏から操っています)。

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「日本政府」 および、「世界の支配者」 に関して、述べます。

換言すれば、

◎太平洋戦争 (その前の、「日中戦争」 を含む)
◎ 日本政府 (日本軍、さらには天皇を含む)
◎ 第2次世界大戦
◎ 世界の支配者 (金融面に関して)

これらの関連性について述べます。

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(E: 図書 (高橋著書))
高橋五郎 ・ 著 『天皇の金塊』 (Gakken = 学研パブリッシング)

この 「E: 図書」 によれば、この戦争には 「巨大な裏」 があります。

「太平洋戦争」 に負けたはずの 「日本政府」 は、裏で 「ボロ儲け 《もうけ》」 をしました。
(天皇も、「ボロ儲け」 をしたとのことです)。

一方、「日本国民」 は、「ボロ儲け」 どころか、死ぬほど大変な目に遭ったのは、言うまでもありませんが。


(F: 図書 (中矢著書))
中矢伸一 ・ 著 『ロックフェラー、ロスチャイルドを超える 「奥の院」 が これからは日本の時代だと決めた』 (ヒカルランド)

この 「F: 図書 (中矢著書)」 が、上記の 「E: 図書 (高橋著書)」 に言及しています。

一部を、引用します。

(F-1: 引用) 29ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 原文にはない 「ふりがな」 を追加しました。
==================================
<見出し>

天皇の秘密資金は本当にある --- ある筋も認める 『天皇の金塊』

<本文>

 猪島さんは 「M資金」 に関わっていたと書いたが、本人はそれについては一切否定していたようだ。


 「M資金」 の話は戦後、いろいろなところで噂 《うわさ》 されたが、ほとんどが都市伝説の類か、それに近い詐欺話に過ぎない。

しかし、ほんの一部ではあるが、中には真実の情報も含まれていた。

猪島さんが関わっていたのは真実の方だった、と私は思っている。


 この資金の話については、高橋五郎氏の書かれた 『天皇の金塊』 (学研) という本に詳しい。

この本に書かれていることは、全部が全部正しいわけではないが、だいたい7割方はこのとおりです、と私は 「ある闇の勢力筋」 から聞かされている。
==================================
(F-1: 引用。以上)


「F-1: 引用」 を見ると、上記の 「E: 図書 (高橋著書)」 は、7割くらいは正しいと、指摘しています。

この 「7割くらい」 という数字が、本当に正しいかどうか、素人の私には分かりません。

しかし、「E: 図書 (高橋著書)」 は、着目する価値が十分あると思っています。

----------

さらに、「F: 図書 (中矢著書)」 を引用します。

(以降、全体的に 「引用が長い」 ですが、「素人が下手な説明を加えるより、分かりやすい」 ので、ご了承願います)。

(F-2: 引用) 29 ~ 32ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 引用文中で、「大東亜戦争」 とは、「太平洋戦争」 のことです。
==================================
 『天皇の金塊』 に書かれている内容は、あまりに壮大なミステリーのようなものなので、にわかには信じがたいかもしれない。


 天皇家には2000年以上におよぶ歴史の中で蓄えられてきた莫大な資産がもともと存在したが、大東亜戦争の時、南方に進出した日本軍によりアジア12ヵ国に属する金銀財宝の 「略奪」 が行われ、さらに莫大な資産が溜め込まれた。

これが 「天皇の金塊」 と呼ばれるものである。


 日本は戦争に突入する前から国内にも相当の金を保有していたというから、当時としては圧倒的に世界一の金保有国だった。


 これら 「略奪金塊」 はいったんフィリピンに集められたが、米国により海上ルートを封鎖されたため、日本国内へ移動させることができなくなった。

そこでフィリピンの175ヵ所に地下サイトをつくり、分散する形で保管した。

そしていよいよ敗戦が濃厚となった1945年6月1日、日本軍は最後のトンネルを爆破して、埋設作業をすべて完了したという。


 この埋蔵金話は 「山下財宝」 としても知られるが、同著ではこの膨大な金塊を 「黄金の百合 (ゴールデン ・ リリー)」 と呼んでいる。


 高橋氏によると、「最後に爆破した地下倉庫8号サイト 一ヵ所に蓄えられた金塊の量だけでも、第一次大戦時に世界一の金塊保有量 (公称3千数百トン) を誇ったアメリカの全量の10倍を上回る勘定になる」 という。

(中略)

 戦争終結後、フィリピンの財宝はトンネルの闇に葬られたが、現地人の噂を聞きつけたマルコス元大統領がその一部を発見したことで、米国に情報が漏れ、彼らも 「黄金の百合」 の全貌を知るようになったという。


 国際法上では、見つかった 「略奪金塊」 は、連合軍とフィリピンの所有物になるそうだが、これだけの量の財宝となると、そう簡単にはアメリカも許さない。


 結局、マルコスは1986年に失脚し、米国 (ハワイ) に亡命、そのまま死去した。


 戦後、日本は ”奇跡の復興″ と呼ばれる高度成長を成し遂げた。

それは、日本人の勤勉さの賜物であり、国民一丸となって努力した結果でもあるが、じつは、戦後復興に際して、一度は天皇からアメリカに差し出した莫大な金を原資とするマネーが還流する形で日本に戻り、これが高度成長を後押ししたと言われている。


 そしてこの資金の情報の一部が、いわゆる 「M資金」 として噂話に上るようになる。

実際に 「M資金詐欺」 を目論むブローカーから投資話を持ちかけられた人もいる。

だがその真相についてはごく一握りの人たちにしか知らされず、「M資金」 はたんなる作り話として片づけられた (実際、大半はそのような類であった)。


 ちなみに、この資金の存在に気づき、自らの政治活動に活かして大きくなった政治家もいる。

田中角栄である。

そのことも同著に詳しい。
==================================
(F-2: 引用。以上)


一方、「天皇の金塊」 は、略奪したのではない、との説もあります。

「F: 図書 (中矢著書)」 を、さらに引用します。

(F-3: 引用) 32 ~ 35ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 「ふりがな」 は、原文の通りです。
==================================
<見出し>

天皇の金塊は略奪したものか、預かったものか


<本文>

 『天皇の金塊』 によれば、日本軍が戦時中にアジア各国から戦利品として 「略奪」 したものであるという。


 しかしこれについては異説もある。


 略奪したのではなく、欧米にみすみす奪われるよりは日本に預かっていてほしいということで、日本がアジアの各王朝から一時的に管理を任されたというものだ。


 どちらが正しいかはわからない。

だが、後藤隆氏の 『謎の根元聖典 先代旧事本紀大成経 《せんだい くじほんき たいせいきょう》』 (徳間書店) という本を読んでいたところ、これに関する記述が出てきたので驚いた。

(中略)

…… 同著には終戦直後のエピソードとして、当時世間で騒がれたという、「東京湾で発見された大量の金塊」 の話が出てくる。

少し長くなるが引用してみよう。


 私 (後藤氏) が出会ったとき、彼はすでに 「宮東齋臣」 と称していたが、本名は 「宮東孝行 《くどう たかゆき》 」 という。

 高齢の方ならご存じかもしれないが、戦後すぐに政治団体を作り世を賑わせた 「ヒゲのクドウ」 である。

(中略)

 GHQの占領下、日本政府や政治家たちが表だって動けないような 「ヤバイ」 問題の処理も、宮東氏のもとに数多く持ち込まれた。

それを彼は 「日本国のため」 という一言で飲み干していた。


 そんなとき、とてつもない事件が彼のもとに持ち込まれた。

今では知る人も少ないが、M資金の噂のもととなった 「東京湾金塊事件」 である。


 一九四六年 (昭和二十一年。終戦の翌年) 四月六日、GHQ第三十二軍調査担当将校エドワード ・ ニールセン中尉の指揮のもと、東京湾月島付近に潜ったダイバーによって海底から膨大な量の金塊が発見された。

それは金のインゴットが約千本と、プラチナのインゴットが約二百本という、すさまじい量だったと報告されている。


 GHQは、それを日本陸軍の隠し資産として持ち去ってしまった。


 だが、実はその金は日本のものではなかった。

それは戦時中にベトナム王朝の子孫から 「祖国復興のための資金」 として日本が 「預かった」 ものだったのだ。

日本は敗戦に際しても、決してその金に手をつけず、ベトナムとの約束を守り、隠し通そうとしていた。


 それをアメリカが持ち去ってしまった。

当然のごとく日本側は抗議をした。

しかし抗議をした人たちは次々と変死を遂げていく。

そんなときに 「何とかしてほしい」 と頼まれ、GHQと渡り合ったのが宮東氏だった。

(中略)

 ともかく、ここで出てくる ”月島で発見された金塊” とは、「天皇の金塊」 の一部である。

それは、日本軍が略奪したものではなく、王朝から預かったものだったという説を、後藤氏の記述は裏付けている。
==================================
(F-3: 引用。以上)


「天皇の金塊」 は、略奪したものかどうか、「当記事の文末」 で、わずかな私見を述べます。

----------

前述の、「E: 図書 (高橋著書)」 を、いろいろ引用します。
高橋五郎 ・ 著 『天皇の金塊』 (Gakken = 学研パブリッシング)

(E-1: 引用) 206 ~ 208ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 「ふりがな」 は、原文の通りです。
==================================
<見出し>

● 金 《キン》 が戦争の帰趨 《きすう》 を決めた事実の口封じで米国傀儡 《かいらい》 「ニキサンスケ 《5人組》 」を戦犯に


<本文>

 金 《キン》 が戦争の帰趨を決めた。

それを証明した主人公たちが 「ニキサンスケ」 だ。

つまり、陸軍大将の東條英機と中国大陸で麻薬売買に活躍した星野直樹という名前の末尾がキで終わる2人の 「ニキ」。

戦時下の満州とニッポンで政官組織を仕切った岸信介、日産自動車を立ち上げた財閥家の鮎川義介、外交官で政治家の松岡洋右 《ようすけ》 の 「サンスケ」。

合わせて 「ニキサンスケ」 と世間から茶化され畏怖されたいわゆる 「戦犯」 5人組だ。


 戦勝国が彼らを戦犯指名した理由は口封じのためだった。

つまり、「金 《キン》 が戦争を動かした事実」 を世間に知らしめないためだった。

「ニキサンスケ」 たちが、実は戦争を金 《キン》 で勝利させた大功労者たちなどだとは露とも知らない世間は、5人組を悪名高い戦犯として侮蔑 《ぶべつ》 した。

だが、連合国は5人組が世界戦争の帰趨 《きすう》 を決める金 《キン》 に深く関与していた秘密を熟知していた。

大切な秘密を口外されては困るのだ。


 戦争を武力の争いと信じるのは一般常識。

だから武力で負けた国の戦争指導者5人組が戦犯として断罪されるのは当然だと誰もが思う。

世間のそんな常識を戦勝国は巧みに利用した。

戦争の帰趨を決めるのは武力ではなく実は金 《キン》 にあることを知る戦勝国は、戦争終結と同時に金 《キン》 の力の秘密を知る5人組をことさら戦犯として断罪することで秘密を覆い隠しにかかったのだ。

 都合の良いことに、戦勝国が知られたくない金 《キン》 と戦争の鉄則を5人組が知るなどとは想像もつかない世間の常識は、武力で敗れた戦争指導者たちの戦犯指名は当然だと認めている。

こんな世間の常識に便乗して、戦勝国は5人組を堂々たる戦犯に仕立てて口封じに成功した。

つまり、金 《キン》 が戦争の帰趨を決めた事実を隠すことにGHQはまんまと成功した。
==================================
(E-1: 引用。以上)


以下に引用の通り、戦争には、「表の戦争」 と、「裏の戦争」 があると、「E: 図書 (高橋著書)」 は、指摘しています。

(E-2: 引用) 210 ~ 212ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 「ふりがな」 は、原文の通りです。
==================================
<見出し>

● 実益と金塊奪取が 「本物の戦争」、実損あるのが 「見せかけの戦争」


<本文>

 戦争には裏表二面がある --- というのが、戦後の世間に遺した5人組の遺訓 《いくん》 だったといえた。

裏面にある 「本物の戦争」 と表面に見える 「見せかけの戦争」 だ。

金 《キン》 こそが戦費を賄い、かつ戦後の実益をもたらす。

これが5人組のDNAつまり戦争認識だった。

前述したように 「本物の戦争」 の目的は実益としての金塊奪取にあり、武力はその手段にすぎない。

それが 「本物の戦争」 の姿であることを5人組は戦争で完璧に証明した。


 5人組は強奪金塊で戦費を賄いながら戦争を遂行した。

(中略)

 5人組が信じた 「本物の戦争」 の視点に立つと、「見せかけの戦争」 の中身が分かり易くなる。

たとえば、戦争の現場を知る将兵たち、死地をさまよった本人の体験、身内や友人たちの肉声、手記や新聞、教科書、歴史小説や百科事典など活字や写真、それに映画やテレビなどの映像ほかが語る戦争、これが 「見せかけの戦争」 の中身だ。

(中略)

「見せかけの戦争」 はウソの戦争ではないが、「本物の戦争」 ではない。

「見せかけの戦争」 で敗れた国々の民には実損のみが伴うだけで実益は皆無。

「本物の戦争」 には実益が伴う。

簡単にいえばこれが2つの戦争の違いだ。


 5人組は 「見せかけの戦争」 に負けたものの 「本物の戦争」 に勝った。

いわば、試合に負けて勝負に勝ったのだ。

だが、「本物の戦争」 の実相を国民には明かさなかった。

政府は 「見せかけの戦争」 のみを国民に実感させて、真実を知らされない敗者だけ味わう 「悲劇」 を国民に遺した。

戦争の秘密を知らされることなく、いや、知ることもなく 「悲劇」 のみ押し付けられた国民は戦争を総括するすべを持たず戦後の現在を迎えている。

「本物の戦争」 からは耳目を塞がれた国民には、一銭五厘のハガキ1枚で強制出兵させられて財産と命を奪われる 「見せかけの戦争」 の実感だけが残った。

(中略)

 繰り返し述べてきたが、サムライ軍団のいわば育ての親はニッポン開国以来の西欧合理主義者 (超合利商法に徹する金融商人) たちだ。

(注) 「超合利」 の 「利」 は、「原文で、意識的に」 表現しています。


明治政府を樹立させ日銀開設を仕向け、5人組を育てたその西欧の金融商人たちが 「本物の戦争」 で入手した財宝文物 (戦利品) を堂々と開陳している現場が大英博物館。

ニッポンの5人組は、そんな育ての親たちのDNAを受け継いだそれも孝行息子たちなのであることを読者は思い浮かべて欲しい。


 育ての親たちが繰り返してきた過去と、5人組の行いとが重ならない道理はあるまい。

5人組は育ての親仕込みの 「本物の戦争」 を忠実になぞった孝行息子たちなのだ。
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(E-2: 引用。以上)


間もなく、「8月15日」 が、やってきます。

毎年、この時期になると、テレビや新聞では、戦争に関する報道やドラマなどが急増するのは、ご存じの通りです。

しかし、それは、「E-2: 引用」 の言う、「見せかけの戦争」 だけを扱っています。

「本物の戦争」 は、決して伝えません。

これからも、日本国民に限らず、世界中で大多数の人々は、だまされ続けることになります。

「本物の戦争」 で、日本政府が 「ボロ儲けした」 具体例を、「E: 図書 (高橋著書)」 から引用します。

(E-3: 引用) 213 ~ 217ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 「ふりがな」 は、原文の通りです。
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<見出し>

● 「見せかけの戦争」 には負けたが、ニッポン政府のフトコロ 《収支勘定》 は大黒字で堂々の勝ち戦 《いくさ》


<本文>

 1937年 (昭和12年) の日中戦争から1945 (昭和20年 --- 正確には47年まで) の太平洋戦争終結までにニッポン政府が戦争に投じた戦費総額は7559億円 ( 『昭和財政史』 第四巻)。

では損得勘定はどうだったか。

一言でいえば戦争はニッポン政府に桁外れの大儲けをもたらした。

政府は投じた戦費7559億円の数倍いや数十倍の見返り利益を手にした。

この利益が5人組が勝ち取った実益の一部だ。


 儲けの決め手が本当に金塊にあったのかどうかは戦費を扱った銀行の報告書が裏付けている。


 「終戦年の8月15日直前、我が国は中北支に於ける預け合いを金塊でもって完済した。何時の世にまさに破れんとする国家が終戦の直前、金塊をもってその軍事費を弁済した例があろうか」 (横浜正金銀行の鼻息荒い報告書)。


 戦費会計の遣 《や》 り繰り (預け合い) を担当した日本資本の朝鮮銀行と横浜正金銀行 (のちの東京銀行、つまり現在の東京三菱UFJ銀行) は、金塊で戦争の収支をまとめ上げたとテンション高く自負しているのである。

(注) 「東京三菱UFJ銀行」 は、原文の通りです (正しくは、三菱東京UFJ銀行です)。


そこで、報告書の信憑性を本稿はこれから説明する。


 銀行帳簿によれば、戦費総額7559億円の半分を手持ち金塊で、そして残り半分を紙幣 (銀行券) で、戦費を清算処理したとある。

もっとていねいに説明すると、ニッポン政府は、現物の金塊を手にするその一方で、前述の 「信用創造」 のメンバー国の地位でなければ戦争も清算もおぼつかなかったニッポン戦時政府の台所事情を報告書は暗に認めている。

つまり、ニッポンの戦争は金塊に始まりその金塊をマネー ・ ロンダリングして収支勘定では大黒字になったということだ。

すなわち、ニッポンが実益を伴った 「本物の戦争」 に勝ったという意味になる。


 ニッポン政府 (5人組) は軍人とヤクザ者を総動員して隣国アジア12ヵ国に押し入った。

狙いは現金化が早くて世界に価値が通じる金塊の奪取だ。

その結果、ニッポン政府は望外の金塊財宝と世界的文化財類まで溜め込んで終戦を迎えた。


 最初から金塊の強奪を開戦目的に置いたニッポン政府は首尾よく戦争を完遂したのだ。

国民が信じた 「見せかけの戦争」 や精神論からは実益は生まれない。

5人組の成果は銀行帳簿が端的に語っているとおりだ。

(中略)

<見出し>

● 本土各所に持ち込まれた金塊財宝秘匿物の行方も規模も藪 《やぶ》 の中


<本文>

 戦前、戦中そして戦争終結時まで、ニッポン本土に運ばれて秘匿または鋳造された金塊と財宝の規模も薮 《やぶ》 の中だ。

政府 (当時の大蔵省 = 現在の財務省) が口を堅く閉ざして今も明かさないためだ。

世間に知られた金塊と財宝、たとえば戦後、東京月島の運河から回収された十数兆円規模と言われた金塊、あるいは日銀本店の地下室に保管された数十億円規模のダイヤモンド、プラチナ類の行方は当時の国会で石橋湛山や世耕弘一などの議員が追及したものの、蔵相池田勇人 《いけだ はやと》 は知らぬ存ぜぬを繰り返したのみで、行方も規模も不明瞭だ。


 「これほどの財宝を持ちながら、なぜ日本は戦争に負けたのか」。

前にも述べたが日銀に保管された金塊やダイヤモンドを点検したGHQ将校はこんな溜め息をついたものだとするエピソードだけが鮮かに残っているのみだ。

GHQがアメリカに持ち去ったそれらも薮の中だ。


 戦時中、ニッポン政府は報道機関も動員して国民から金歯や金縁メガネ、それに親が残した形見の宝石細工類までくまなく供出させた。

だが、個人から集めた金地金も金製宝飾類もその行方は戦後になっても不明のまま。

政府は拠出した国民に一部返還したと財務省は強弁しているが、大半はうやむやのままだ。

戦時政府が金塊を鋳造して流通、または溜め込んで戦費に使ったのは明らかだが、そうやって処理した全数量までは分からない。
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(E-3: 引用。以上)


「太平洋戦争」 も含め、「第2次世界大戦」 の全体を、金融面から取り仕切っていたのが 「BIS (国際決済銀行)」 だったと、「E: 図書 (高橋著書)」 が指摘しています。

(E-4: 引用) 221 ~ 228ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 「ふりがな」 は、原文の通りです。
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<見出し>

● 戦争は連合国も枢軸国も一緒に ”談合” して稼ぎに走った ”マネー ・ ゲーム” だった


<本文>

 大戦時の戦費の遣り繰りはその換金システムに全面依存した。

スムーズな戦費調達の必要性から、ニッポン、ドイツ、イタリアはいわゆる三国同盟関係を結んだ。

つまり、三国同盟の真実は、金塊換金のシステムを活用することにあった。

むろんこの真実は戦史家や政治思想研究者たちを落胆させるものだが、「本物の戦争」 はそれが真実なのだ。

戦費に使う金塊のためのいわば換金システムを共有するための三国同盟だったのだ。


 戦費資金の運用システムを24時間体制で管理したのはスイスの銀行で、その任を担 《にな》 った銀行が第二次世界大戦開戦のために1930年にバーゼル (スイス) に開設されたBISこと国際決済銀行 (Bank for International Settlements) だ。


 BISについて、スイス人の歴史家ジャン ・ トレップ ( 『国際決済銀行の戦争責任---ナチスと手を組んだセントラルバンカーたち』 駒込雄治 ・ 佐藤夕美共訳、日本経済評論社) はこう説明している。


 「BISの大戦時の理事には、アメリカ、ドイツ、イギリス、ベルギー、イタリア、それに日銀が派遣した銀行家たち、つまり交戦国同士が顔を揃えていた」 と。

 なぜ、交戦国が一同に介してBISに理事を送り込んだのか。

(注) 「一同に介して」 は、原文の通りです。


それは戦費を捻出 《ねんしゅつ》 して金塊を換金するシステム (マネー ・ ロンダリング機能) を共有するためだ。

戦争の実像がここにかいま見える。


 「各国の財政専門家たちが (BISに) 集うことは戦時中でも必要だった。なぜなら、国家主義よりカネのほうが強いからだ。彼らは大戦中も接触を絶やさないようにする必要があった。戦争が終われば再建の仕事が待っている。そのためには自由貿易が欠かせないからだ」


 これはBIS銀行の総裁トーマス ・ マッキトリック (アメリカ人) が、自国も戦時下にあるのに、国家主義論争より国際資本が生む利子のほうに関心があったとする発言だ。

この発言も前出のスイス人歴史家のジャン ・ トレップが明かしている情報だ。


 BISとの間で専 《もっぱ》 ら金塊の洗浄と資金運用を共有した銀行は、スイス国立銀行とドイツの国立銀行ライヒスバンクだ。

両行は共に、第一次世界大戦以来の銀行間の電信網 (ゴールド ・ カルテル銀行のネット ・ ワーク) を使って即座に金塊の洗浄と外貨管理をこなした中央銀行だ。

世界金融メンバーの1行として組み込まれた日銀もまたしかりだ。


 スイスとドイツの中央銀行に遅れて新設されたBISは、両行のノウハウを活用しつつ両行と緊密な関係を保ちながら戦争金融業務を展開した。


 「大戦中を通じて、われわれナチスはBISと取引を続けた。つまり、接触と関係が続いたのだ。ライヒスバンクが送り込む金塊を、われわれは終戦までずっと受け入れていた」


 これはBISの嘱託歴史家ピート ・ クレメント発言で、『 ヒトラーの秘密銀行---いかにしてスイスはナチス大虐殺から利益を得たのか』 (アダム ・ レボー著、鈴木孝男訳、KKべストセラーズ) の中でそう述べている。

この発言は、ナチス ・ ドイツと取引を続けたBISに、理事と行員を送り込んだニッポン政府もスイス国立銀行やライヒスバンクとの間で金塊の換金、戦費移動などの取引を続けていたことを裏付けるものだ。


 繰り返すが、ニッポンは明治政府以来の (松方正義、レオン ・ セイによる日銀創設以来の) 世界金融ネットワーク ・ メンバー国だ。

そのニッポン政府が1930年のBIS開設時から同行に理事と担当者を送り込むのは当然の責務だった。

BIS開設以来、日銀と横浜正金銀行ほかの銀行からスイスに派遣されたニッポンのバンカーたちは、祖国ニッポンの広島、長崎に原爆が投下され、天皇の玉音放送が流れ、皇居前に集まった国民が放心して玉砂利に頭を垂れ、涙にくれたとされる戦争終結の日を過ぎても、なお黙々とバーゼルのBISで銀行業務を続けていたものだ。

ニッポンは戦争に加担してそこで入手する金塊で、戦費を賄っていたから当然の業務だ。

もっといえば、世界戦争は連合国も枢軸国も一緒に、つまり ”談合” して稼ぎに走った ”ゲーム” だったのだ。


<見出し>

● BISは強奪金塊を使い回して 「本物の戦争」 を推進する ”胴元”



<本文>

 日銀代理のニッポンの民間銀行団も投資した戦争専用バンクBISの設立資本金は5億スイスフラン。

これは当時の世界で最も頼りにされた最強通貨を投じたものだ。

BISを保証した銀行はべルギー国立銀行、イングランド銀行、フランス銀行、イタリア銀行、ドイツ国立銀行ライヒスバンクの計5行。

さらにBISの外郭銀行として日銀の代理銀行 (横浜正金銀行ほか)、モルガン銀行、ファースト ・ ニューヨーク銀行、ファースト ・ シカゴ銀行などのアメリカ銀行団が多数並んだ。


錚々 《そうそう》 たる世界の ”護送船団” に守られたBISの表向きの設立趣旨は各理事国政府の受託機関としての役割を果たすこととされていた。

むろん本音は、第一次大戦で敗北したドイツ政府に賠償を履行させるための処理銀行 (実は賠償金で一稼ぎする機関) であり、次の第二次大戦のための戦争準備銀行だった。


 このように、BIS設立の本当の目的は、第二次大戦を創出して戦争利益を求めるためだった。

建て前はドイツ復興支援を謳いつつ (実際に支援をしたが)、だが、本当は次の第二次大戦の戦費創出が設立目的だった。

恰好の建て前を謳うBISは設立参加理事諸国から前投資金として ”種金 《たねがね》” を出資させた。

つまり、仕込み資金だ。

その仕込み資金でヒトラー、ムッソリーニ、それにニッポンなどの枢軸国軍のために 「本物の戦争」 (つまり金塊強奪のための戦い) を支援した。

交戦国に対するいわば戦争助成金というわけだ。


 強奪金塊をBISに回遊して換金した資金を担保に派生する利益は、すべての交戦国の戦費と、ドイツの賠償金、それにBISの投資株主が前払いした ”種金” の償還利息として分配した。

BISは強奪金塊を使い回して 「本物の戦争」 を推進させる ”胴元” であり、金塊が、戦争の血液であることを証明した。


 ドイツ、イタリアそしてニッポンの各政府は、戦争継続中は、強奪金塊が生み出す利益にずっとありついた。

第二次世界大戦の開戦準備と戦争維持のための戦費を三国に投じ続けて、戦争を継続させたBISにとって、ムッソリーニのイタリア、ヒトラーのドイツ、そして天皇ヒロヒトのニッポンはこの上なく頼もしい稼ぎ頭だった。

なぜなら、日独伊3国は金塊強奪の ”名人たち” だったからだ。

こうした戦争金融の業務を執行するBISは、1945年にひとまず戦火がやむまでは ”眠らない銀行” であり続けた。


 ニッポン海軍が真珠湾攻撃中の瞬間であれ、満州で馬賊に大砲を撃ち込んでいる最中であれ、あるいは太平洋の硫黄島で日米両軍の兵士が激戦を繰り返している深夜であれ、ニッポン政府 (横浜正金銀行) は、BIS経由でドイツ、スイス、マカオほかの銀行との間で、送金や金塊の洗浄による外貨購入、それに蓄財まで、つまり金融マネージメントを粛々と繰り返して ”血液循環” を維持した。

こうした戦時下での資金取引事情はニッポン、ドイツ、イタリアに限らず交戦国の英米連合軍諸国も同じだった。

(中略)

 ナチス ・ ドイツのヒトラー 『わが闘争』 の個人著作印税や、イタリアのムッソリーニ総統の個人資金も、砲弾と爆弾が飛び交う最中でも、BISのドイツ支店やライヒスバンクのそれぞれの口座に国境を越えて振り込まれていたことは先に書いた。

同様にドイツ、イタリアの両国と同盟関係のニッポン政府の金塊も、必要な外貨戦費も、そして天皇の預金も、全てBIS、ライヒスバンクならびにスイス国立銀行の間の銀行パイプを往来した。


 昭和天皇名義でスイス銀行に預けた10億ドル相当の金塊を、スイス銀行からマカオの銀行の天皇名義の口座に移したり、ドイツ銀行の天皇口座に預けた預金2000万米ドルを日本の横浜正金銀行に送金する業務は戦時も平時も変わらなかった。


 ニッポンは手持ちの金塊をマカオの銀行で洗浄させ、中国の現地通貨、あるいはドル紙幣に交換して小切手、手形 (軍票) それらを担保に現金化したり債券を振り出して軍需物資のキャッシュ決済を繰り返した。

銀行は電信網を活用して資金の移動業務に即座に対応するから多忙をきわめた。

戦争資金がスムーズに循環して、戦争が続行されている間はその分取り扱い手数料が銀行に転がり込むからだ。

(中略)


<見出し>

● 国際金融勢力は戦後の収支を安定させる範囲内でニッポンの戦争を打ち止めに


<本文>

 原爆投下がキッカケでニッポンは戦争を終結させたとする説があるが、その珍説は相変わらず武力戦争のみを戦争だと信じる人々の妄想だ。

戦争集結のタイミングは、エネルギーの枯渇や戦闘能力の限界やそれに原爆投下に対する恐怖心などから決定される要因ではあるが、それが決定打ではない。

(注) 「集結」 は、原文の通りです。


たとえば広島 ・ 長崎への投下タイミングは、戦費の収支勘定を見据えて調整された投下なのだ。

つまり戦争事業の決算期の到来を告げるいわば打ち上げ花火 《シグナル》 だった。


 BISの戦費バランスシートはニューヨークのウォール街とロンドンのシティのいわば戦争会計士たちが常時監査していた。

損益分岐点を予測した結果として、つまり、ドイツ、イタリア、ニッポンが利益を残せる範囲を予測、その予測範囲内で戦争事業の決算時期のタイミングを図り、たとえば原爆を投下したり、ポツダム宣言書を発行して、終戦を督促 《とくそく》 したものだ。


 なぜなら、戦争終結のタイミングが遅れて戦費の収支バランスが崩れることが予測されれば、戦後世界の金融経済の安定にはならないからだ。

国際収支の悪化を招くことで、国際金融界の戦争ビジネスの収支バランスそのものを崩してはならないのだ。

国際金融勢力は戦後の収支を安定させる範囲内でニッポンの戦争を打ち止めにした。

原爆の威力や戦力の不足でニッポンが自主的に戦争終結を決めたとする情熱的な史家たちの見解は、例の 「見せかけの戦争」 のみ信じる戦史マニアたちのお伽噺にすぎない。
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(E-4: 引用。以上)


この 「E-4: 引用」 を見ると、戦争は、「世界を牛耳っている者たち (世界の支配者たち)」 が、お金を儲けるための、単なる 「仕事」、単なる 「営業活動」 に過ぎないと、良く分かります。

実際には、引用文の通り、「ゲーム感覚でしかない」 のかもしれません。

いずれにせよ、戦争で、大勢の人々が 「死のうが、くたばろうが」 そんなことは、彼らにとって 「どうでもいいこと」 なのは、明らかです。

「自分たちが、儲かるか、損をするか」 それだけが、大事なのです。

視点を変えれば、戦争という手段を用いて、人々を 「より一層支配し、より一層苦しめる」 のが目的とも言えます。

したがって、日本国民に限らず、世界中で、人々が 「戦争反対」 をいくら叫んでも、彼らにとっては 「痛くも、かゆくも」 ありません。

まったく、眼中にないのは、目に見えています。

換言すれば、人々が 「戦争反対」 をいくら叫んでも、それでは、何の解決にもなりません。

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「日本政府が、何を強奪し」、それをどうしたのか、「E: 図書 (高橋著書)」 を引用します。

(E-5: 引用)209 ~ 210ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
※ 「ふりがな」 は、原文の通りです。
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 実益を求めて 「本物の戦争」 に突き進んだ5人組が軍人とヤクザ者たちを走らせ、海外で強奪行為で入手した物品類は多岐にわたった。

金塊、ダイヤ、プラチナ、ルビー、サファイア、金銀硬貨、株券、債券類など巷間 《こうかん》 で誰でも即換金できるものからコバルト、ニッケル、ボーキサイト、タングステンなど戦時産業界に不可欠の鉱物資源材などだ。


 さらには他民族が歴史と誇りにかけて祖先から継承してきた国宝級の重要文物財まで確保した。

たとえば朝鮮王家、清国皇帝などの由緒ある宝物、絨毯 《じゅうたん》、名画、稀覯 《きこう》 本、仏像、仏教古書、写経、掛け軸、彫刻美術品、寺院の装飾品など、民族文明の拠 《よ》 り所ともいえる精神文化財の数々がそれらだ。

略奪財宝の中から厳選して蓄 《たくわ》 えられた高級巨額な財宝が、「金の百合」 と呼ばれる膨大な量の金塊だった。


 金塊と鉱物資源を除く重要文化財は、皇居内、東京科学博物館、東アジア研究所、東洋文化研究所、大東亜文庫、靖国神社そして東京帝国大学、東京芸術大学、福沢諭吉の慶応や大隈重信の早稲田ほか私立大学などに秘蔵した。

時には虫干しと称して陳列されたりもした。


 世界的な逸品としては青磁、白磁の陶器コレクション (サムライ軍団の1人、住友吉左衛門所蔵) がある。

満州事変以来のどさくさで強奪した、それらの価値は世界有数の絶品を集めたアーヴィ ・ ブランデージ ・ コレクションにも匹敵するとアメリカ人作家たちはいう。

GHQの調査によれば、中国大陸からニッポン政府が略奪した古文書などの図書類だけでも300万冊にのぼった。


 金 《キン》 とは無関係のはずのこうした他民族の重要文化財を 「戦後のニッポン政府は半世紀を経た今も隠したまま持ち主たちに返還していない。とりあえず朝鮮、中国から奪った千数百点の文化財のみを最近ようやく韓国政府に返還した」。

以上、強奪物品の詳細と顛末は、ニッポン政府の5人組の悪行ぶりを糾弾するアメリカ人ジャーナリストたちの調査情報を参考にしたものだ。
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(E-5: 引用。以上)


この 「E-5: 引用」 に加えて、「E-3: 引用」 の一部を、再掲します。

(E-3: 引用の一部再掲) 217ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
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 戦時中、ニッポン政府は報道機関も動員して国民から金歯や金縁メガネ、それに親が残した形見の宝石細工類までくまなく供出させた。

だが、個人から集めた金地金も金製宝飾類もその行方は戦後になっても不明のまま。

政府は拠出した国民に一部返還したと財務省は強弁しているが、大半はうやむやのままだ。

戦時政府が金塊を鋳造して流通、または溜め込んで戦費に使ったのは明らかだが、そうやって処理した全数量までは分からない。
==================================
(E-3: 引用の一部再掲。以上)


これら、「E-5: 引用」 および、「E-3: 引用の一部再掲」 を見ると、日本政府は、現在でも 「強奪しまくり」 なのは、明らかです。

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以上の通り、「F-1: 引用」 ~ 「E-5: 引用」 までを見ると、日本国民にとって、「真珠湾奇襲攻撃」 から 「8月15日の敗戦」 まで、すべては 「日本政府および日本軍」 による猿芝居と言えます。

それも、ただの猿芝居ではありません。

「日本国民」 は、とんでもない苦難を味わい、一方、「日本政府 / 日本軍」 は、大儲けをする、非常に不公平とも言える、猿芝居です。

しかも、「その一方的な不公平さ」 は、敗戦で終ったのではなく、姿形を変えて、令和2年 (2020年) の現在も、連綿と続いています。

そのため、戦後、極端な軍国主義が消滅し、立派な自由で民主的な国に生まれ変わったはずなのに、今でも、非常に住み心地の悪い状態が、続いているのです。

例えば、今回の 「新型コロナウイルス騒ぎ」 でも、日本政府は 「下手くそな政策」 を次々と行っています。

「アベノマスク」 が、その典型例です(笑)。

ただし、日本政府の 「下手くそな諸政策」 は、政府のレベルが低いからではありません。

意識的に、計算づくで、「下手くそな政策」 を、わざと行っているのです。

日本国民を 「踏みにじる」 ためです。

「各引用」 の通り、戦争中に 「日本国民を、さんざん踏みにじった」 のと、同じです。

大きく視点を変えれば、いまだに、(姿、形を変えた) 戦争が続いていると言えます。

日本政府が、米国に対してではなく、日本国民に対して、(姿、形を変えた) 戦争をしているのです。

したがって、「日本政府に対し、下手くそな政策を非難するだけ」 では、何の解決にもなりません。

日本政府は、世界の支配者の一員として、日本国民を支配しているのです。

逆に見れば、「世界を支配している者たち」 が、日本政府を使って、今でも 「日本国民を支配している」 のです。

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くどいようですが、引用の一部を再掲します。

(E-4: 引用の一部を再掲)223 / 225ページ
※ 「原文にはない改行」 を加えています。
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BIS開設以来、

日銀と横浜正金銀行ほかの銀行からスイスに派遣されたニッポンのバンカーたちは、

祖国ニッポンの広島、長崎に原爆が投下され、

天皇の玉音放送が流れ、

皇居前に集まった国民が放心して玉砂利に頭を垂れ、涙にくれたとされる戦争終結の日を過ぎても、

なお黙々とバーゼルのBISで銀行業務を続けていたものだ。

(中略)

 ニッポン海軍が真珠湾攻撃中の瞬間であれ、

満州で馬賊に大砲を撃ち込んでいる最中であれ、

あるいは太平洋の硫黄島で日米両軍の兵士が激戦を繰り返している深夜であれ、

ニッポン政府 (横浜正金銀行) は、

BIS経由でドイツ、スイス、マカオほかの銀行との間で、

送金や金塊の洗浄による外貨購入、それに蓄財まで、

つまり金融マネージメントを粛々と繰り返して ”血液循環” を維持した。

こうした戦時下での資金取引事情はニッポン、ドイツ、イタリアに限らず交戦国の英米連合軍諸国も同じだった。
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(E-4: 引用の一部を再掲。以上)


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前述の、「E: 図書の主張する 『天皇の金塊』」 が、強奪したものか、どうかについて。

◎ 強奪したものが大半

◎ 預かったものも、少しはある

素人に過ぎない私としては、このように考えています。

(ただし、「預かったものも、少しはある」 といっても、全体の量が、あまりにも巨大であるため、絶対量からすれば 「決して少なくない」 のかもしれませんが)。

なお、「F: 図書 (中矢著書)」 以外でも、「強奪ではなく、相手国から頼まれて、預かった」 と言明している説もあります。

しかし、それは、おそらく、「預かったものも、少しはある」 のを見て、それがすべてだと、思い込んでいるのではないかと思います。

あるいは、それに見せかけて、「強奪ではない」 と、意識的に力説しているのかもしれません。

どちらなのかは、分かりません。

これも、素人に過ぎない私の考えです。

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補足の対象である、「元の記事」 に関して。

(D: 第2回目の元記事)
『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(2・最終回)』
2020年07月25日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/18/9269442

(G: 第1回目の元記事)
『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(1)』
2020年07月18日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/18/9269442


両記事で、以下の通り述べました。

> (16-C) 説明

> 「第1回目記事」 の、「14-A ~ C」 の通り、負けるために、わざと行ったのです。


> (6-C) 説明

> 米軍に対する、巧妙な利敵行為です。


> (14-C) 説明

> 日本が、「米国に負けてあげるため」 に、意識的に始めた戦争です。


これらは、素人に過ぎない、私の 「勝手な発言」 です。

「E: 図書」 「F: 図書」 に限らず、「日本が、米国に負けてあげるために、わざと下手な戦争のやり方をした」 との説は、記憶している限りでは、まったく見かけません。

しかし、この考え方は、間違ってはいないと、自分では思っています。

なお、この 「下手な戦争」 とは、「E: 図書」 で、高橋著者が言明している 「見せかけの戦争」 を指しているのは、言うまでもありません。

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今回が、「最終回」 です。

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<<第1回目に戻る >>
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/08/01/9274319


           当記事(第2回目 ・ 最終回)の先頭に戻る >>
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/08/07/9276316


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『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(1)』
2020年07月18日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/18/9269442

『日本政府やマスコミによる「不当な、すり替え表現」が、いろいろあります(2・最終回)』
2020年07月25日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/25/9271711

今日、8月12日は「日本航空123便ジャンボ機墜落事件」から35年目となりました2020年08月12日

[カテゴリ: JAL123便>その他]

今から35年前、昭和60年 (1985年) 8月12日、「日本航空123便ジャンボ機」 が、群馬県の、いわゆる 「御巣鷹山 (おすたかやま) / 御巣鷹の尾根」 に墜落しました。

これは、事故ではなく、事故に見せかけた 「意図的な墜落事件」 だと、真相を追究している人々には、分かりきったことなのは、いまさら言うまでもありません。

当ブログでは、「事件の真相そのもの」 を追究する能力はないので、さまざまな 「問題点」 「疑問点」 などを、「素人ながら、航空技術の面」 から、探究してきました。

その結果、「急減圧流は発生していない」 との結論に達しました。
(これが、結論のすべて、という意味でありません)。

123便の 「航空事故調査報告書」 は、意識的に 「ウソをついている」 と言えます。

(A: 既存の連載記事)
『JAL123-急減圧流は存在しないと「事故調は認識している」(1) ~ (19)』
2016年01月19日
https://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2016/01/19/7996032


(B: 既存の記事)
『JAL123-事故調が主張する「修理ミス」は、ミスではなく「作為」』
2016年01月13日
https://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2016/01/11/7988248


(B-1: 既存の記事)
『JAL123-「修理ミス問題の記事」に関して、拡大図を追加します』
2016年01月15日
https://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2016/01/15/7991239


(C: 既存の連載記事)
『JAL123-事故調査報告書「ボイス・レコーダ記録」を見ると、「急減圧流は存在しない」と解釈できる(1) ~ (4)』
2017年11月22日
https://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2017/11/22/8732511

この記事は、連載を中断しています。


(D: 既存の連載記事)
『JAL123-「スコーク77」に関する、大きな「虚論」(1/8) ~ (8/8)』
2015年12月10日
https://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2015/12/10/7943988


(E: 既存の記事)
その他、少しあります。

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今現在、以下の連載記事が、ご覧の通り停滞しています。

(F: 連載中の記事)
『日航123便墜落事件 - 航空管制通信での「周波数変更の指示」に関して「他者ブログ」宛にコメント投稿しました(13)』
2020年07月11日
https://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/07/11/9267122

これは、あと数回で、終了するかと思います。

その後は、ずっと中断している、以下の連載記事を、再開したいと思っています。

(G: 中断中の記事)
『JAL123-事故調査報告書「ボイス・レコーダ記録」を見ると、「急減圧流は存在しない」と解釈できる(4)』
2018年02月09日
https://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2018/02/09/8785313


ただし、その前に、これまた中断している連載記事を、先に片付けたいと思っています。
(123便ではなく、新幹線に関する記事です)。

(H: 別の中断記事)
『「新幹線のぞみ34号、台車破損(テロ攻撃未遂事件)」に関する「運輸安全委員会」調査報告書は真相を隠している(11)』
2020年02月26日
https://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2020/02/26/9218269


それとは別に、以下の連載記事は、あと3回程度で終るかと思いますので、どこか、適当な時に掲示したいと思っています。

(I: 別の中断記事)
『「FS」ならば、「飛行機の操縦」が素人でも自由に出来ます(14)』
2017年08月04日
https://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2017/08/04/8640055

これも、123便とは、無関係です。

以上とは、まったく別カテゴリ (精神世界) の記事も中断しています。

(J: 別分野の中断記事)
『「人間とは、そもそも何なのか」について、「他者ブログ」宛にコメント投稿を昨年行いました(3)』
2019年02月27日
https://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2019/02/27/9041492

この記事は、あいにく再開の目途が立っていません。


以上、中断だらけで、申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。

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まったく別件ですが、以下の 「他者ブログ記事」 に、大きな問題があると、思わないではいられません。

(K: 他者ブログ記事)
『折れなかった垂直尾翼(7) - 翼で飛べないジャンボジェット』
2020-07-04 22:47:34
<(新) 日本の黒い霧>
https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/73be015f47ea075104981cc86bfabf78


この 「K: 他者ブログ記事」 には、少なくとも、2件の大きな問題があります。

(問題点1) ジャンボ機の 「低空飛行」 に関して、事実無根の 「とんでもないウソ」 をついています。

(問題点2) 「未知の飛行原理」 を主張するために、「問題点1」 の発言と、「ごちゃ混ぜ」 にしています。

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(注) 今は時間の余裕がないので、ここでは、「最小限の説明」 に留めておきます。
(そのため、意味が分かりにくいかもしれませんが)。

後日、詳述したいと思っていますが、いつ実現するか、現時点では分かりません。

ご了承願います。

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本題に戻ります。

上記の 「問題点2」 から、先に述べます。

「K: 他者ブログ記事」 に、以下の記述があります。

※ 読みやすくするため、「原文にはない改行」 を加えています。

>つまり、ジャンボジェットは翼の生み出す揚力だけで空中に浮き上がっている訳ではないのです。

>この事実は現代の旅客機全てに言えるだけでなく、重量に対して翼面積が極めて小さいオスプレイなどの軍用機、そして、零戦やB29など、第2次世界大戦時の航空機にも言えるのです。

>要するに

>殆どの飛行機は翼だけで飛んでいないのです。

(中略)

>■ 123便の異常飛行の考察

>…… どうやら航空機は翼による空力だけで飛んでいないことが分かってきましたから、ジャンボジェットの飛行原理も次のように2系統あると考えます。

> 1.空力的飛行原理
> 2.未知の飛行原理


「未知の飛行原理」 が存在すると主張するのは、自由です。

これについては、何も反対しません。

問題なのは、その結論に至る、「途中の論理展開に、無理がある」 点です。

一口で、端的に言えば、「論理のすり替えを、巧妙に行っている」 と言えます。

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「論理のすり替え」 について述べます。

(1) 「K: 他者ブログ記事」 の 「>画像1:揚力と重力」 では、大事な項目が抜けています。

次の、「図1」 を見て下さい。

飛行機に作用する力

(図1) 飛行機に作用する力
(出典: 日本航空技術協会 ・ 編 『航空工学講座 (1) 航空力学』 を引用。追記)

※※ 当記事の各図は 「拡大図付き」 です。マウスの左クリックで、「拡大図、元の図」 に切り替えられます。

※※ 図を参照しながら、本文をご覧になる場合、当記事を「二つのタブ」で同時に開き、一方のタブを「図の表示専用」にすると、非常に便利です。



飛行機で、「揚力と重力」 を論じる場合、特に理由がない限り、「図1」 の通り、次の 「4項目」 を、必ず掲げる必要があります。

◎ 揚力
◎ 重力
◎ 推力
◎ 抗力

なぜならば、「推力があって」、初めて 「揚力」 が生まれるからです。

さらに、「推力」 があれば、必ず 「抗力」 も生じます。

結果的に、この4項目を、一度に扱わないわけに行かなくなります。

したがって、「K: 他者ブログ記事」 の 「>画像1:揚力と重力」 は、「推力」 と 「抗力」 を意識的 (?) に抜かしています。


(2)「K: 他者ブログ記事」 で、「>つまり、画像1において 揚力 > 重力」 は、正しくありません。

正しくは、「揚力 = 重力」 です。

これは、水平飛行に限らず、上昇時でも、降下時でも、事実上 「揚力 = 重力」 となります。


(3) >ここで、747-100SRの縮小モデルを作るとしましょう。

これも、「論理のすり替え」 です。

論述の出発点は、実物の 「ボーイング747SR-100型機」 です。

したがって、そのまま、「実機で論述を続ける」 のが当然です。

「縮小モデル」 をことさら持ち出すのは、本来ならば、まったく筋が通りません。

「論理をすり替える」 ために、巧妙に行っているのは明らかです。


(4) >すると、この縮小モデルが時速300㎞で走行したした時に持ち上げられる重量は ……

「縮小モデル」 ならば、それに応じて、走行速度 (地上の滑走速度) は、小さくなります。

前述の通り、「推力によって」、初めて 「揚力」 が生まれます。

換言すれば、小さな 「縮小モデル」 ならば、揚力も小さいので、推力も、それに応じて小さくてすみます。

時速300㎞もの高速は、まったく不要です。


(5) >300㎞で走れる道路は日本にありませんから、中型バイクでも出せる時速60㎞でこのモデル機が浮上できる重さを逆算します。

このような理由で、「縮小モデルの速度を、時速60㎞にする」 のも、筋の通らない論理です。

「縮小モデル」 の側から見た、所要の揚力に基づいて、走行速度 (必要な推力) を求めるのが、本来の論理です。
(あくまでも、「縮小モデル」 を用いた場合の話ですが)。


(6) >これが浮くかどうかは実験してみれば分かることですが、結論として 絶対に浮き上がりません

「論理のすり替え」 を繰り返して得た結論に、何の正当性もありません。


(7) もし仮に、「縮小モデル」 であっても、それを実際に空を飛ばすのであれば、「エンジン付きの縮小模型 (縮小モデル)」 にするのが当然です。

このエンジンを使って、「縮小模型」 を自力で地上滑走させ、離陸できるかどうかを実験するのが、本来あるべきやり方です。

にもかかわらず、「エンジンのない模型機体の話 (実機ならば、エンジンのない、グライダーに相当する)」 をわざわざ持ち出し、一般道で走行させるために、時速60㎞にしなければいけない、などと主張するのは、巧妙な 「論理のすり替え」 です。


(8) 机上の理論計算で 「離陸できない」 と結論づけるならば、初めから 「縮小モデルの話」 を持ち出すことなく、(3) で述べた通り、最後まで、「実機を用いた、机上の理論計算を行い」、結論を出すのが、本来のやり方です。


(9) >2.未知の飛行原理

この 「2.未知の飛行原理」 に話を持って行くために、(1) ~ (8) まで、必死で論理のすり替えを行っているのです。

換言すれば、現代の 「航空力学が、インチキだと主張するため」 に、必死で、(1) ~ (8) まで、論理のすり替えを行っているのです。

しかし、そんなことをする必要はありません。

最初から、「2.未知の飛行原理」 とは何か、「その内容を、すべて公表」 すれば、一発でケリが付くのです。

(L: 他者ブログ記事-1)
『広島・長崎、75年後の真実(4) - ブラックテクノロジーと原爆』
2020-08-06 16:48:06
<(新) 日本の黒い霧>
https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/b017da1222fe654e0c390fd727f6dfae

これを一部引用します

※ 読みやすくするため、「原文にはない改行」 を加えています。

>ブラックテクノロジー (略称 B-Tech)

>と称しておきましょう。

>さて、本ブログ記事 「翼で飛べないジャンボジェット」 では、現代の飛行機がその翼が発生する揚力だけでは絶対に飛行できないことを紹介しています。

>実は、これを調べて行くと、現代の如何にも超重量級の飛行機だけでなく、B29など第2次世界大戦の爆撃機や、なんと零戦なども、武器弾薬をスペック通り搭載したら、絶対に翼だけでは飛べないことが判明したのです。


この 「ブラックテクノロジー (略称 B-Tech) 」 が存在すると言いたくて、(1) ~ (8) まで、必死で論理のすり替えを行っているのです。

初めから、「ブラックテクノロジー (略称 B-Tech) 」 とは何かを詳述すれば、こんな 「下らない、無意味な回り道」 をする必要は、何もありません。

ところが、この 「他者ブログ」 は、いわゆる 「寸止めブログ」 なので、一番肝心のことを意識的に伏せて 「明らかにせず、小出しに、したがる」 のです。

何とも、ご苦労なことです(笑)。

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「問題点1」 は、事実無根の 「明らかなウソ」 です。

「K: 他者ブログ記事」 に、以下の記述があります。

※ 読みやすくするため、「原文にはない改行」 を加えています。

>…… 日航の元ジャンボジェットパイロットであったN氏の証言です。

>高度1000mを切ればジャンボ機は着陸態勢を取らざるを得ない。

>フラップは全開であろうしエンジン出力も最大となる。

>高度700m前後でもはや通常飛行などできるはずがない。


「問題点1-1」 >高度1000mを切ればジャンボ機は着陸態勢を取らざるを得ない。

これは、明らかな 「ウソ」 です。

高度1000m以下でも、パイロットが、例えば、水平飛行をしようとすれば、いくらでも可能です。

再上昇も、いくらでも可能です。

ジャンボ機に限らず、どんな飛行機でも、それは可能です。

飛行機は、元々、そういう構造になっています。


「問題点1-2」 >フラップは全開であろうし

全開したフラップは、「フラップ ・ レバー」 を操作すれば、「いくらでも、引き込む」 ことができます。

なお、ジャンボ機の場合、フラップの角度は 「最小0度 (フラップを格納) から、最大30度」 です。


「問題点1-3」 >エンジン出力も最大となる。

もし仮に、 高度1000m以下で、着陸態勢にあるならば、「エンジン出力も最大」 になることは、通常あり得ません。

もし、そんなことをしたら、機体が、勝手に上昇して行ってしまいます。
(着陸降下ではなく、逆に、離陸上昇しようとしているのと、同じ状態になってしまうからです)。

着陸のために 「降下する」 のは、かえって不可能です。

適正な降下ができるように、「エンジン出力を、小さく絞っている」 のは明らかです。

もし、着陸降下中に、突然の強烈な下降気流 (ダウンバースト) に出遭った場合、機体が急激に沈下します。

最悪、地上に激突する危険性があります。

このような時は、一時的に 「エンジン出力を最大にする」 場合も、あるいは、ないとは言えません。

ただし、機体の沈下を抑えたら、直ちに 「元のエンジン出力に戻す」 のは、言うまでもありません。


「問題点1-4」 >高度700m前後でもはや通常飛行などできるはずがない。

「通常飛行」 とは、一体何を指すのか?

「水平飛行」 のことなのか?

非常にあいまいな表現で、「意味不明」 と、言わないわけに行きません。

いずれにせよ、「高度700m前後」 でも、水平飛行であれ、再上昇であれ、いくらでも可能です。

「着陸降下する以外にない」 との主張は、まったくのウソです。

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「K: 他者ブログ記事」 を、さらに引用します。

※ 読みやすくするため、「原文にはない改行」 を加えています。

>これに対し、国際軍事評論家のB氏も

>ええ、その方のおっしゃる通りだと思いますよ。

>普通に考えたらそんな低高度から再び機体を立て直すなんて絶対に不可能なんです。

>しかし、結果として123便はそこから飛び続けた。

>だから私は高濱機長の神技であるとしか表現できなかったのですよ。


次の、「図2」 を見て下さい。

「着陸復行」 の解説図

(図2) 「着陸復行」 の解説図
(出典: 『航空情報 2019年 (令和元年) 9月号』 (せきれい社) を引用。追記)

※※ 当記事の各図は 「拡大図付き」 です。マウスの左クリックで、「拡大図、元の図」 に切り替えられます。

※※ 図を参照しながら、本文をご覧になる場合、当記事を「二つのタブ」で同時に開き、一方のタブを「図の表示専用」にすると、非常に便利です。



「図2」 は、『航空情報』 誌が連載した、「飛行機を飛ばす話 (第25回)」 から引用した、解説図の一部です。

着陸進入中の機体が、「何らかの理由で、着陸を中断して、再上昇する場合」 の、解説をしています。

解説文の一部を、引用します (57ページ)。

※ 読みやすくするため、「原文にはない改行」 を加えています。

>例えば、進入限界高度 (降下することができる最低高度) で滑走路が視認できないため着陸を断念する場合には上昇しなければならない。

>また、先行機が滑走路上で鳥と衝突、あるいは地震発生などの場合には点検のため滑走路が突然、閉鎖されることがある。

>つまり進入中の飛行機が、必ずしも着陸できるとは限らないのだ。

>そのため、離陸を中断して上昇することも考える必要がある ……


さらに、「58ページ」 を引用します。

※ 読みやすくするため、「原文にはない改行」 を加えています。

>その管制上の進入復行とは、

>着陸のための進入中に滑走路が視認できないなどパイロットの判断で着陸を断念する場合、

>あるいは管制機関からゴーアラゥンドを指示された場合に、

>それぞれの空港で設定された進入復行方式に従って上昇することだ。

>また、ゴーアラゥンド (Go Around) とは日本語では復行といい、

>進入または着陸の継続を中断して上昇体勢に移ることを意味する。


このように、「着陸進入中で機体が降下している」 時に、必要があれば、いつでも、降下をやめて、上昇することができます。
(その時の高度が、700mであろうが、100mであろうが、30mであろうが、いくらでも再上昇可能です)。

換言すれば、「ジャンボ機に限らず、飛行機は、そのような飛行能力を、当たり前に備えていなければいけない」、ということを 「図2」 が、明確に示しています。

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以上の通り、「高度700m前後では、着陸する以外に、道はない」 のは、明らかなウソです。

「国際軍事評論家のB氏」 が、「神技発言」 をするのは、同氏の自由です。

しかし、同氏がどのような発言をしようとも、「問題点1」 は、事実無根の 「明らかなウソ」 です。

このようなウソに、「だまされては」 なりません。

(注) 「K: 他者ブログ記事」 が、意図的にウソをついているのか、それとも、そうと知らずに、そのような発言をしているのか、そこまでは分かりません。